sozinkouのブログ

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ハッピークラシー・アナザー

ハッピークラシーという言葉の概念についてはググって下さい。

雑に言えば、資本主義社会において、市民を積極的に消費行動を取るようしむける為に恣意的に定義された幸せの概念に支配されてるってところでしょうか。

例えばSNS運営によるキラキラアピールに奔走させるためのリコメンドシステムとそれに翻弄される人たちが問題にされていたりしますね。

ツイッターをリスト主体でやってるときにはあまりそういう実感はなかったのですが、ツイッター危機のときにスレッズのアカウントを作ってみて、キラキラアピール投稿まみれのおすすめを見て、ああ、これがハッピークラシーなのかと改めて実感できました。

そして、ここからが本題なのですが、スレッズの石川の地震松本人志の問題まみれのおすすめの投稿を見て、災害や戦争の時にみんながこぞってそれ関連の投稿をしたりするのもキラキラアピールと同様の仕草、キラキラアピールの亜種なんだと気付きました。

SNS上のハッピークラシーって言うと、おしゃれで優雅で豪華で贅沢な理想の自分アピールというのが問題視されていますが、善良で頭が良くて社会の間違いに対して正しい答えを啓蒙できる理想の自分アピールというのも問題視されるべき大きなもののような気がします。

ハッピークラシーの人たちの善良さや啓蒙内容というのは資本主義社会の偏った価値観に支配された偏ったものだからです。

例えば、もっともわかりやすいのは、資本主義社会に支配された偏った価値観によって、明けてないコロナ禍が明けたことにされ、2023年には多くの死者やコロナ後遺症が出てしまいました。その被害者を意に介さずに、それより小さい被害者ばかり気にかけて積極的に発信している(コロナ禍明けに追従している)人たちの善良さというのは明らかに恣意的でしょう。

ではコロナ禍は明けていないという人たちが違うかと言えばそうとも限りません。反体制的な政治活動を行っている人たちが違うかと言えばそうとも限りません。発信しているのが例えば怒りの言葉なら怒りを示すことがその人のハッピーに繋がっている場合もあります。そういう怒りを示すこと自体で満たされるものがある分だけ改善自体に対する希求に欠けています。それは全体的な言論活動を見ればある程度は推測可能です。そしてそういう人たちは資本主義に対するカウンター的な言論を発していますが、客観的な自己・社会認識に欠け、ハッピークラシーからもひいては資本主義の支配からも全く逃れられていません。

 

資本主義的価値観のカウンター的な

 

 

正しい事をしている自分