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ひろゆき論を読んだ

〈特別公開〉ひろゆき論――なぜ支持されるのか、なぜ支持されるべきではないのか | WEB世界

 

まずおもしろいと思ったのは、プログラミングの副産物で得られる能力のこと。

「情報整理術、俯瞰で物事を見る目、相手に合わせて指示するやり方、物事を効率化する方法、数値化する力、優先順位を見極めること、仮説を立てる癖、論破力、シミュレーション力、仕事を熟練させる方法、アイデアを形にする能力、模倣するショートカット術」

ってボクが常々リベラル、左派に欠如してると感じてる能力が多いんだよね。仮説を立てる癖くらいまでかな。そこから後は、前に書いてある能力の複合応用系能力だし。

リベラル、左派に対してそれらの能力の欠如を感じる具体的な事例としては、

  • インフルエンザの死者は1万人って話が出たときに社会がインフルエンザで死にすぎってならなかった事に対する鈍感さ。その状態でコロナの死亡率は0.2%ってやればそれは「コロナはインフルエンザ並」を補強する論になる。
  • 森元さんの「女はわきまえない」に対する「わきまえない女」という反応。これを問題にするなら「わきまえている女が出世できていないこと」か「男が過剰にわきまえさせられている」こと。もっと言えば、エリートの女性が出ることを望んだ男の社会というのは「わきまえさせられる社会」だったわけ。

アンドソーオン。枚挙にいとまなし。

 

リベラルや左派は、社会や物事を見るのにマクロやミクロの視点に偏っているし、社会の共感を得る様々な能力にも欠けているというのがボクの見立て。

まあだからリベラルや左派が論破されても、社会を味方に付ける反論がうまくできなくてもしかたないのかな。

 

ただこれがプログラミングの副産物で得られる能力とは思わないけど。短く言えば、抽象化能力や希薄なアイデンティティという個性。この辺はなんとなく微妙にボクに似てる部分があるからわかるつもりになっているだけだし、長くなりそうだからこの辺で。

 

次。

データとして数値化された事実性と、アルゴリズムとして図式化された論理性が重視される。

これってあくまで「っぽい」だよね。

上げられているような人たちって、まず結論があって、形式化されたアルゴリズムに基づいて、そのアウトプットを生む都合の良い前提とデータの選別が行うって作業をセルフ模様するショートカット術によって行ってるように見える。加えて言えば、「前提とデータのチェリーピッキングをチェリーピッキングに見せない」のを結論として同じ作業をしている。短く言えばツッコミを潰す為の再帰構造。

そうすると

データとして数値化された事実性と、アルゴリズムとして図式化された論理性が重視される。

この彼らが示す論理性というものが、実は彼ら自身の従っている論理性とは異なっている可能性というのが示唆される。

彼ら自身のアルゴリズムとそのアウトプットは

相手に合わせて指示するやり方

の表現形だということだ。

そのもっともたちの悪い表現形が、省いちゃいけない前提を省くことで結論を出せる姿をアピールするっていう手法だろう。

ひろゆき等は社会を俯瞰して、その省いちゃいけない前提を省いてもなんとかなる社会だと理解しているところが恐ろしいところ。

ちなみにそういう社会を徐々に作り上げていったのは広告代理店やマスコミ。資本主義社会の企業が先導、先導する消費社会の幸福の定義や健康のモラル化……そこから生じる価値観……この具体的な説明は今のボクには無理。

 

ライフハックという指摘はおもしろいと思う。なるほどって感じ。

 

「ずるい」「抜け道」「ラクしてうまくいく」

リベラル、左派が振りかざす理屈というのは、こういったものを求める人間の本性を無視しているんだよね。

リベラル、左派の人をヲチしてると、人間性を喪失した理想的な人間になることを求められる恐怖に駆られることがある。いや、ボクだって理想を放棄してるわけじゃない。彼らに対する恐怖というのは、内面にまでズカズカと踏み込んできて理想を求めてきそうなことに対するものだ。

結局、リベラル、左派が

「ずるい」「抜け道」「ラクしてうまくいく」

という人間の存在を、人の多様性を克服できていないから、人を自分の理想として振る舞うように変えようとしているのにそのことに無自覚だ。というか、人の心や多様性というものを考えたとき、リベラル、左派の理想の社会は全体主義でしか実現し得ないのだろう。

話が逸れた。そういうリベラル、左派というものに対する恐怖というのを、意識的、無意識的に持っている人というのは、社会にそれなりにいるのだと思う。

ボクはひろゆきが持て囃される理由の1つは、そういうリベラルや左派という恐怖の対象に対するカウンターの機能を持っているからだと思う。ひろゆきもたぶん似たような分析をしてるだろう。

 

そして、

 こうした安直な思い込みが広く受け入れられてしまうのは、「いつまでも変われない日本」への苛立ちが、とくに若い世代の間に広がっているからだろう。「自分だけはいつでも変われる」と思い込むことの中にしか希望が見つからないほど、彼らの展望は閉ざされているのではないだろうか。

リベラル、左派の支持者の中にもこのような苛立ちを持ち、同じような解決策の中に希望を見いだしている人は多いように見える。ひろゆきを支持する人たちとは異なる冷笑とは対照の安直な独善的思い込みによって。

 

しかしこうした「ダメな人」は「太古からずっといた」のだから、気に病む必要はない。

所謂発達障害自閉症スペクトラムの人が社会構造の変化によって、以前には就けたような職業に就けずにサービス業のような不向きな職業(結果として「ダメな人」とレッテルを貼られるような)にも就かざるを得ず、生きにくさを感じる人が増えてる的なことを言ってる人がいたのを思いだした。

そういう人たちに、リベラルや左派とは異なった、よりその人たちが現に今の社会で生きやすく、より受け入れやすい価値観を提示したということだね?

うん、納得。

 

これらの存在、すなわち高齢者、障害者、失業者、女性、LGBTQ、在日外国人、戦争被害者などが、いわばリベラル派の「弱者リスト」の構成員となっていると言えるだろうが、一方で彼が問題にしているような「ダメな人」は、そこにはほとんど含まれていない。

これは納得できないな。リベラルの「弱者リスト」の構成員は

 

弱者とは搾取されるばかりの存在であり、したがって連帯し、運動し、集団として権利を主張しなければならないとする見方だ。

に沿った弱者でなくてはならず、そうでないものはそのリストから除外されて、逆に「攻撃リスト」に載ることすらあると思ってる。ボクは一応LGBTQ+の端くれだけど、彼らが助けてくれそうと思ったことはない(自分の価値観とは逆の方向に社会を変えそうと思うことは多々ある)。

維新支持のLGBTQ+に対するリベラル、左派に対する仕打ちとそれを冷静にヲチしているLGBTQ+とか言えば、少しはわかってもらえるだろうか。

 

その「弱者観」は彼らを救済するものではなく、力づけるものでもないからだ。

これは全く同意。

ただカテゴリー的にはリベラルの「弱者リスト」に載っているはずの人でも、こう思っている人はそれなりにいるはずだ。「あなたたちと共闘する戦士になりたいんじゃない。今を自分らしく生きたいんだ」と。

ボクの場合、逆に言えば、ひろゆきの提示するライフハックもまた自分らしく生きるのとは正反対だから取り入れることもないけど。

ただまあ、ひろゆきの提示するライフハックで自分を救える人、救うことに抵抗のない人も多いだろうし、その含有率というのは、カテゴリーによって異なって、この記事で話題にされている層というのは、その含有率は高いだろう。

だからといって、自分たちが自ら弱者すら分断して一部から見放されつつあるという現実は認識から逃げて良いわけではないんじゃないかな。

 

あとリベラル、左派の連帯を「横並び」なんて言葉で矮小化しないで欲しいな。

多様性に欠ける偏った道徳のお仕着せからボクに聞こえてるのは「全体主義の足音」あるいは「同化政策の足音」だから。悪くすれば道徳の法律化すら目論むように感じられる。その場合に聞こえるのは「恐怖政治」だね。

 

というのも彼ら自身が「真の弱者」なのだから。

なるほど。個人的には「偽の弱者」「真の弱者」という感覚を抱えたことはないけど、利己的で自分たちのことしか考えてない声のでかい弱者とその支持者とそれでは救われない弱者という感覚は常に持っているけど。

 

情報強者の立場からのポピュリズム

この段の見方は偏っていると思うな。言いたいことはわからないでもないけど一面的というか。

 

リベラル派のメディアや知識人など、とりわけ知的権威と見なされている立場

リベラル派の知的権威なんて絶滅危惧種でしょ?

知的権威ぶってるけど、根っこにあるのは感情論だったり、根っこがない空疎な理想論だったり、理屈に走るあまり人間性を喪失していたり……エコーチェンバーを起こして先鋭化しちゃってるおかしなのばっかり。

今の「情強」というのは「リベラル派の情報操作(嘘)を嘘と見抜ける」ことであって、リベラルの権威を情弱とは位置づけてないと思うよ。情弱というのはその嘘から救うべき存在じゃないかな。

まあ自分たちを情報強者の立場に置いて転倒させてるというのは全く否定しない。

 

 

第一に、差別的な志向の増幅という点だ。

第二に、陰謀論的な思考の増幅という点だ。

まあこの1,2の問題点の指摘自体は否定しない。

ただその指摘されてるようなことをしてるのはリベラルの支持者にもいっぱいいるから。鏡を見て?としか言いようがない。

 

そもそも高齢者や障害者に向かうのは「財政が足りない」というような感覚からなんだよね。そして、その感覚というのは、現に自分たちに救いの手は差し伸べられず、切り捨てられようとしていて、自ら切り捨てられないように道を切り開こうとしている経験に基づいている。その経験に共感を示さずに軽視していては先はおぼつかない。

また切り捨てられようとしているのは広義にはマスコミや資本主義社会がやってるキャンペーンが土台になっている。生産性によって人を判断するという直接的なものから、健康年齢、ピンピンコロリといった健康のモラル化、消費と幸せを結びつけるといった間接的なものまで含めてね。

財政が足りない論、或いは、生産性や健康のモラル化、固定された幸せの定義等の土台に支配されている、「思考することを思考する」という哲学する過程を経てないリベラルというのもたくさんいて、そういう空疎なのが人々を分断させるような不寛容な大声を上げてるのが現状。

あとコロナで陰謀論に支配されているリベラル、左派なんてたくさんいたじゃん。自分の思い通りにならない社会と隠そうと思えば隠すことができる権力。これほど陰謀論と相性の良い組み合わせはない。

そういえば「反共!」って陰謀論日本共産党って組織が組織ぐるみでやってたね。その犬笛でワンワンがいっぱい吠えてたね。新自由主義のワンワンと変わらないよ?

今、リベラル、左派っぽいツイートをしているアカウントなんて、ひろゆき支持者のアカウントと大差がない。裏表、同類の左右。

 

おわりに

ひろゆきはたぶん色々知っていると思うし、歴史性や文脈性もある程度は把握していると思うよ。ただその前提で思考することを敢えて捨て去っているだけでね。

彼は、自分の価値観に沿った結論を設定し(場合によってはその社会認識能力によって排除されないギリギリの結論を設定できる)、その結論に沿って再帰的に前提や情報を選択するというやり方(どこまでの深さでそれをしてるかはわからないけど)をしてるんだから。

いや、ひろゆきがしてなくても、誰かがそういうことをするのは可能だろうし、神輿にそういう事をさせるのも可能だろう。決断できる政治家アピールとかね。あれって大抵大切な前提を捨て去って結論を出してるだけなんだけど、その社会状況を見極めた前提の捨て去り方が絶妙なんだよね。

対してリベラルは稚拙。社会状況を見極めずに受け入れられない理想論を押しつけて支持を失っている。

 

新たな情報知に対して人文知はどう向き合うべきなのか、

 

人文知にとって情報知は向き合うべきものじゃ無いと思うよ。その上に真の情報知とはみたいなの書いてるじゃん。そして、それとは異なる知として

彼の知はそうした総合性を持つものではなく、単純で生半可な、それゆえに安手のレベルに留まっている。

と書いてるじゃん。向き合うのは「彼の知」のような知でしょう?その「彼の知」を抽象化してその概念を象徴する言葉を当てる(つくる)べきじゃないかな?

 

あとリベラルの知が上みたいな感じだけど、ボクが一部のリベラルがおかしいなと確信を持ったのは、学校の掃除を児童労働だと言うのを見かけたとき。

ああこの人達は、ルールを破るということができず、学校の掃除がイヤだったという感情を友達同士で発散することもできず、自分がやりたくなかったという感情を抱えたまま、それを今になって偏った価値観の屁理屈で正当化して社会に広めようとしているんだなってね。

解消する手段を持たないものが最も極端な方法でそれを解消しようとする。危うすぎる集団だと思った。

こういう知が上だとはボクには思えない。右も左もその熱烈な支持者達は考えることを考えるという考えることの基礎の部分ができていない。信奉している知の拠って立つところが異なるだけ。

リベラルの知がどうこういうなら、支持者達に考えることを考える哲学から始めさせて下さい、本気で。

 

この「ひろゆき論」って文章は、「ダメな人」を救う具体的な方策を何も打ち出せていないね。「ダメな人」を今すぐに救う気は無いけど、「ダメな人」をこっちに向けさせるためになんとかすれば、そのうち「ダメな人」を救えるって感じなのかな?

今の社会の土台ではラディカルに社会が変わるということはあり得なくて、まずは自分たちの思想の種を蒔くのに相応しい土壌作りから地道に始めないとダメなんだよ。リベラルの思想を共感を持って理解できる人を増やしていく為にね。

そしてそんな悠長なことでは今困っている「ダメな人」は救われない。今のリベラルのやり方で救えるのは、リベラルみたいに社会と戦うことに意味を見いだせる人だけなの。

じゃあどうすればいいか。まずはリベラルが身を切って自己犠牲で犠牲を払いまくってでも「ダメな人」を実際に救えば良いだよね。いや、ダメじゃない困ってる人も実際に救わなきゃダメなの。

知に仰け反らずに一人一人の人間に向き合ってね。

 

 

 

 

あとさ今の声デカ不寛容リベラルというのは自省できない他罰的な要素と攻撃性が強すぎる集団だと思うよ。そんなのが見せられるのはごく一部の人への希望だけであって、それより多くの人に恐怖を与えているから。

 

 

 

 

まとまりがないけど、以上。かなり雑なのであとで書き直すかもしれないけど大筋が変わることはない。