sozinkouのブログ

取るに足らないナニカが素人考えを綴る場所

マイケル・サンデルの白熱教室

マイケル・サンデルの白熱教室の主にコロナがテーマの民主主義の危機のをチラッと見たんだけど、日本人のは生活者という主体が喪失してる意見って感じ、中国のは自分と国の「善」の対立への想像力が欠如してる感じ、アメリカは色んな人がいて全体としては懐が広いけど個々にはやばみを感じる部分もある感じ。

あと冷笑主義には2種類あると気付いた。「国民全てを幸せには出来ない」「どうせ話しても無駄(話し合いは無駄。形式的な話し合いでOK)」みたいな上から目線の冷笑主義と「どうせ社会は変わらない」みたいな下から目線の冷笑主義

上から目線にも下から目線にも対リベラル、左派的な要素があるというのが興味深いね。

上からは「(大切なことは)何でもかんでも反対」、下からは「あの人達に社会は変えられない」「社会を変えようとするあの人達には共感できない」とか、そういう感じの諦観かな。

自分たちが生んでいる諦観を冷笑主義に責任転嫁しないで欲しいよね。

でも上から目線の諦観は、より全体の利益を追求しようとしない社会に通ずるものだろう。それはコロナ禍で現実に起こっているし。経済を回すだってもっと少ない死亡者数で達成することも可能だったろう。いや、その選択肢を市民がとったかはわからないけど、施政を司る者からその選択肢が示されずに、マスコミも加担したコロナ軽視のなし崩しによって経済偏重に進み、オミクロンで大勢の死亡者が生じたことは遺憾でならない。

 

で、本題。

私は、コロナ禍が見せたのは、民主主義の衰退というよりも、個人主義や資本主義を土台にした民主主義の限界だと思ってる。

結局、人の命や健康を大切にするという倫理的観点の「結果」に於いて、民主主義国家が中国に負けたのは事実だし、あそこまでできないとしても、民主主義でももっと人の命や健康を大切にする政策というのは取れたと思う。それが個人主義や資本主義のエゴが適切に抑制されなくて取れなかった。

経済を回すという結論ありきの「人の命や健康を犠牲にした」論というものの根底にあるのは、エリート層が自分の痛みや犠牲は極力回避したいという個人主義や資本主義のエゴだったように感じる。例えば経済的困窮による自殺者を理由にコロナ対策を緩めようとする人たちに限って新自由主義者リバタリアンという場合も少なくなかった。彼らは自殺を防ぐための生活保護セーフティーネットの拡充などを求めないし、そもそも普段は弱者を自己責任で切り捨てている。それによって自殺者も生じているだろう。

そしてもう一つ重要なことは、マスコミを形成しているエリート層自体が、エリート層の倫理的な使命を忘れて、個人主義や資本主義のエゴに飲み込まれてしまっている。結果マスコミはその歪んだ民主主義を壊す価値観を広める役割、ポピュリズムを煽る役割の先兵と化してしまっている。

この番組では、TwitterなどのSNSの検閲が、私企業であることとトランプ元大統領のbanという観点で語られることに終始したのが残念。

ポピュリズムが台頭している時代において、SNSは、誤情報の拡散、ヘイトスピーチや扇動、または人間という実体・実態から離れ過ぎて多様性を喪失した先鋭的なリベラル、左派の運動……そうした発信者たちがSNS権威主義的な無能な働き者に指令を出すための犬笛として利用しているといった観点が必要だろう。

ただそのような観点から何かしらの規制をある程度容認するとしても、民主主義にとってそれは害悪な必要悪に過ぎない。問題が別の手段によって解決できる社会なら取るべき手段ではない。

あと巨大SNSを運営する企業を私企業というのはネット時代の意見発表の場としてのSNSの価値を過小評価しすぎだろう。

話が逸れた。人の命や健康を大切にする施策を取れなかったことは無念だし、その選択肢をとらなかったことを死亡者の年齢などの属性に注目して、優生思想のようなもので正当化する姿勢が跋扈してるのは恐ろしい。民主主義がその課題に直面して、状況が良くなるどころか、より悪くなる可能性を示唆するものに思えてならない。

 

蛇足

さて民主主義が直面した課題にとって重要なものは倫理観を取り戻すことであるけど、欧米の宗教はその倫理観の土台にはなれないことが示されている。逆に日本という宗教支配の緩い国の方が、少なくともコロナ禍の初期においては、倫理的な行動に於いて勝っていた。ちなみに私はリベラル、左派が振り回しているような人間の本性、人間の生活から離れた理屈を捏ねただけの倫理観というものは、人間を辞めたくないので好きではない。だから少なくともこの部分に関して、今の私には全く答えがない。∴民主主義の未来も深い深い闇の中にあって全く見通せてない。自分の子供がいなくて良かったとすら思えてくる。

 

蛇足2

民主主義というより日本のことなんだけど、コロナ禍において、欧米には科学によって自由を得ようとしている側面も見られるけど、日本は欧米の自由という表面の部分だけを真似して、それを実現するために科学を利用するという文明的な姿勢を真似できていないんだよね。

結果として、例えば、脱マスクでも日本の政治家がやってるのはお気持ち表明。そしてボクも同じ気持ちだ、私も同じ気持ちだと後押しする自称知識人とマスコミ。

あのさ、科学的根拠も何もない「子供の学びの為」って「子供の学び」に関する安心を得るために過ぎないから。マスクを付けることを安心の為と否定しながら、マスクを外す根拠が安心の為って笑うところ?

あと知識人がSNSで発信するのは知識人の責任だけど、その知識人の主張を知って敢えて放送に出し続けて、その知識人の発言に権威を与えるのは、その番組、放送局の責任だから、日本のマスコミの罪って本当に重たいと思うよ。