sozinkouのブログ

取るに足らないナニカが素人考えを綴る場所

時間=観測。シュレーディンガーの猫から。

シュレーディンガーの猫について考えているうちに、「時間=観測」と言う妄想に取り憑かれるようになりました。

時間というのは、宇宙に平等に流れているマクロな現象ではなくて、量子領域あるいはそれより小さい領域における局所におけるミクロな現象だと言うことです。

少しマクロな話になりますが、例えばある放射性同位体が崩壊した瞬間にその放射性同位体の時間が1単位が進み、放射性同位体の崩壊が観測(他の何かに影響を及ぼした瞬間)に影響を及ぼされた何かの時間が1単位進むというようなイメージです。それだけなら局所だけ時間が進むことになりますが、極めてミクロの領域における現象があらゆる場所で極めて膨大に起こっていれば、人間の目と言ったマクロから見ると等しく時間が流れているように見えるのではないでしょうか。

そしてその1単位時間が進む現象こそが、量子力学で言われるところの観測なのだと思います。

 

さてここからはどうしてそういう妄想に至ったかの話です。

シュレーディンガーの猫という思考実験は、物理ではなく脳科学、認知論の方が簡単に否定できると思うんです。

箱を開けて猫の生死を人間が目視で確認するとします。

すると視覚→脳で視覚情報を処理→処理された視覚情報を元に猫の生死を確定→意識に伝達って過程を経ると思うんです。

ここでウィキペディアによると

アト秒 as 10−18
100京分の1秒
  • 現在、計測することのできる最も短い時間(2004年2月現在)は100アト秒である[71]

秒 - Wikipedia

だそうです。

この時間に比べたら視覚に箱の内部の情報が捉えられて猫の生死を意識が確認するまでの時間はかなり長いといえるでしょう。

従って、私は意識が猫の生死を認識するタイミングを持って観測とするのは遅すぎると思います。ということは人間による観測を観測の主体として考えた場合、視覚が脳に猫の生死が確定できる情報を捉えた時点で人が観測したことになると思います。

しかし、人間の脳や意識が観測に関与しないなら、人間の視覚に猫の生死の情報は伝わっているがまだ意味が確定できていない状態で良いなら、それは観測装置のセンサーが何かしらの変化を捉えるのと何が違うんでしょうか?

また仮に観測装置なしで放射性崩壊が直接猫の生死に影響を及ぼすとしても、猫の死こそが観測なのではないのでしょうか?

そう考えると、観測っていうのは、今という瞬間が確定すること(人間が認識したときにはすでに過去になっている)なのではないか、時間の経過というのは、あらゆる観測の積み重ね、あらゆる観測の歴史なのではないかと思えてきます。