sozinkouのブログ

取るに足らないナニカが素人考えを綴る場所

脱マスク、コロナ後遺症、コロナのリスク(X-2)

ざらめ煎さんとはまあまあ近い考えなのですが。

 

 

ざらめ煎餅個人が大変だからなんだろうけど、これは大局を見誤っていると思う。周囲の「普通の人」がマスク剥がしをするような環境なら、パブリックでマスクをしてる人は極めて少なくなっているはずで、その状況をこそ懸念すべきだと思う。というかボクは懸念している。マスクは着けようと思えば押し切って付ける事も可能だけど、ユニバーサルマスク率の更なる低下→感染リスクの上昇に対しては個人で打てる手はない。

 

周囲の人には「理屈は正しいんだろうけど……」と言われる人を目指すしかないね。頭が良い&偏屈という評価を得られればマスクを着けるくらいの奇行は赦される。

ちなみに普通じゃない人のマスク剥がしに対してはやり返すしかない。そういう人たちは劣等感によるアイデンティティの危機とか独善とか何かを抱えているから、とりあえず自分の価値観や善良であることは捨てて、相手に一番効く言葉で殴りつけたら良い。

 

 

これに関しては、ボクも常々そう思っている。

自分や自分の周囲の状況による感覚とコロナはただの風邪じゃないよ派の語るリスクの乖離というのは、コロナはただの風邪じゃないよ派の言葉の信頼性を損なっていると思う。

で、ここでもう一つ重要だと思うのは、「感染者の10%以上が後遺症に」「そんなにいねえ!」というパターンもあると思うんだけど、「うん、ボクも咳が長引いたわ。でもそれでリスクを過大視して経済に影響を与えてもね?」というような人たちもいるんじゃないかと言うこと。

また生活に支障が出ていると回答した人の数字を出すことは適当だと思うけど、これも周囲には見せてない人というのもいるはずで、社会の認識としてはそれよりも低い数字なんじゃないかという気もする。

そしてこれは根本的な疑問なんだけど、自分の周囲に(社会に)どの位の症状でどの位の割合でいたら、人はそれをリスクと捉えたり、そういう人を生まないために行動変容したりできるんだろう。

ボクは3%や1.6%というような高い数字なら社会の行動は変容すると思っていたけど、そうではなかった。そして、今の現にコロナ後遺症者が大勢いる状況で社会の行動が変容していない中で、3%や1.6%という数字でなにか伝わるのか?という気持ちもある。

一方で小林製薬のような過剰反応もあるわけで……。報道の力はやっぱり大きい。

あと何度も書くけど、

www.google.comこういう力を借りる必要もあると思う。

あまり反ワクチンと身元のわかる犠牲者効果を並べて語る人はいないけど、こういう影響を受けている人が結構いると思う。だからまあ是非はあるけど。

 

 

 

ちなみにボクはこういうのは逆効果だと思う。あーマスクを押しつけてくるのは潔癖症な人なのかあと思われるのがオチ。

パンとか惣菜に飛沫が付いていても良いんだよね。感染症がうつらなければ。

コロナ禍以前からインフルエンザの流行の季節だけパンを買っていなかった人より。

でもま、その割に舐めたとかそういうのは人の人生を終わらせるほど炎上するよね。

 

ただ

トイレのハンドドライヤー(ジェットタオル)で手に付いた尿を乾かすおじさんがいる世界線には戻りたくなーい。

手を洗ってないのに放尿後に手を乾かすってそういうコトでしょ?