sozinkouのブログ

取るに足らないナニカが素人考えを綴る場所

子供のマスク

 

エビデンス有り:

・何らかの要因によりコロナ禍で未就学児に発達に悪影響があった

 

ボクは学校でマスクをつけた方が良いと滅茶苦茶思っているが、マスク着用派はエビデンス有りの方に「何らかの要因によりコロナ禍で未就学児に発達に悪影響があった」というエビデンスを敢えて列挙せずに(この件の新聞のタイトルで大騒ぎした界隈が知らないわけがない)、マスクが子供の発達に悪影響を与えるエビデンスはないといってマスクを付けさせようとするから信用できない。

いや、正確にはコロナのリスクを考えればマスク着用を訴えるのは理解できるが、子供の発達の遅れを深刻に捉えずに(反・脱マスクバイアスがなければ正しく評価できると思うのだが?)、コロナ禍における未就学児の発達の遅れへの対処に対する姿勢が全く見えない点で、本当に子供の事を考えているのか信用できない。

 

まず前提として、未就学児への発達への悪影響というエビデンスがあって、その悪影響が取り戻せない、或いは取り戻すのに時間のかかるようなものなら、それは健康と同等に人生において多大な影響を与えるリスクだと思っている。

そして、現段階で研究が進んで折らず、発達の取り戻せない、或いは取り戻すのに時間のかかる可能性があるなら、それは安全に倒して、大いなるリスクだと扱うべきだろう。

そこで、マスクというのはコロナ禍の変化の一つだから、マスクが発達の悪影響の一つの要因ではないと言うのなら、その安全だというエビデンスが必要なのであって、コロナ禍で未就学児の発達に関して悪影響があったけどマスクについてはエビデンスがないから積極的に付けようというのはどう考えたっておかしい。

子供を守るというなら発達の遅れというのもまた当然憂慮すべき重たいエビデンスの1つだ。

そもそも、すべての人の命と健康の安全に倒すのを軽んじた結果がポストコロナ禍=人災コロナ禍なわけで、コロナという感染症を軽視せずにそのような人災を批判しているような人たちが、変なバイアスでこのような論理展開をして、子供の安全に倒すような思考ができないというのは残念でならない。

 

もちろん遅れの要因はマスクではないかもしれない。しかしエビデンスがないのだから安全だという保障はない。

とは言え、コロナに感染するというのもまた高いリスクであり、残念ながら今はマスクを外せるような状況ではない。それは確かだと思う。だから今はマスク着用した方が良いという考え自体には賛同する。

そして今、このような状況で大人にできることは何かということを考えると、マスクという要因の検証は後回しにするしかない。それ以外の要因を速やかに検証していくべきだろう。

そして発達の遅れの取り戻しについての研究も必要だろう。その結果如何で発達の遅れのリスクの高低も変わってくる

とは言え子供の発達というものの検証はかなり困難な部分もあるだろう。そう考えるとマスクの発達への影響も考えて、『お金をケチらずにしっかり使って』科学的にマスクを出来る限り外せる環境というものを整えることが大切だろう。

 

ちなみに、あるあるとして、この手の界隈のエビデンス!の人たちが学校の活動・カリキュラムにケチを付けるときには、自分たちの子供時代の経験に基づいた感想やお気持ち表明をしがち。

 

 

(追記)

 

専門家でもないのにそっち方面を研究している人の懸念を「単なる感想」と言い切れる思い上がりが凄いよね。バイアスに支配されてるのが可視化されている。

この懸念が正しかった場合、子供には命や健康と同様の重みのある影響を及ぼす。ド素人の感想ならまだしも研究している人の勘を無視しちゃいけないだろう。

マスク着用を訴えることとこの懸念への対策を考える。それは両立できることだ。その両立できることを、エビデンスがないと否定しようとする。それが真に子供の為に考えていると言えるだろうか。ボクはそう思わない。

保育所などでマスクをしても、表情を見るという経験は家庭において十分に補える部分はあるだろう。

マスク着用を訴えるならせめて

家庭で補えないのか?

補うにはどのような配慮が保護者に必要だろうか、

テレビやYouTubeの視聴というのはバーチャルで一方通行だが補う機能はどれくらいだろうか

等々……成長への影響も考慮して考えて欲しい。

 

さておき、この懸念が正しいかどうかはわからないけど、ボクはこういう懸念を持つこと自体は理解できる。

この懸念を理解できない人というのは、他人の表情を読む能力が乏しい、或いは共感性が乏しいなどの理由で、この種の経験とそこから生じる能力の欠如への想像力が乏しいのではないだろうか。

ボクはHSPほどではないけど、たぶん他人よりは人の表情を見る人間で、この能力は今の職業とも結びついていて、この能力が今より劣った人生というのは考えられない。

そして、この能力をいつ身につけたかと言えば、子供時代に父親の虫の居所を探るために必要で、ずっと観察していた結果だろうと思う。感想だけど!

ボクはこの能力を特殊な状況で身につけたけれど、才能の多様性というものを考えれば、そうではなく普通の生活の中で身につけられる才能を持った子供というのはいるだろうと想像する。

マスクを外している人の表情を見る経験は、すべての子供に必要な経験ではないかもしれないけど、一部の子供には必要な経験かもしれない。

仮にすべての子供に必要な経験であったとしてもその実証は困難なのに、こうなるとさらに実証困難になる。

子供の発達に関する話で、エビデンス!と言う人たちはそのエビデンスを提出することの困難さというのがわかっているんだろうか。倫理的に不可能な手段も多い。

例えば、乳幼児期の言語の発達においては臨界期という有名な概念があるけど未だに議論は続いている。

 

 

(追記ここまで)

 

(更に追記)

 

「COVID 感染による子どもの脳へのダメージや学力低下」をめちゃめちゃ気にする人たちが、「マスクや黙食による子どもの発達遅れや学力低下」をを全然気にしないのは何故なのでしょうか。

エビデンスがないから?

コロナ禍の未就学児の発達遅れはエビデンスがあるよ?それとマスクを関連付ける新聞見だしで大騒ぎした界隈やその近しい人たちが知らないわけがないよね?

その騒ぎの際にそのエビデンスを出した佐藤豪竜先生も、この研究では特定の原因はわからない(マスクも原因かもしれないしそうでないかもしれない)みたいな事を言っていたよね。ようするにマスクが現に存在している発達の遅れの原因ではないというエビデンスもないわけ。

子供を自分の論に利用せずに本当に子供の事を考えているなら、現に存在しているコロナ禍における子供の発達の遅れにしっかりとした問題意識を持ち、それにどう対処すべきなのかを考えるべきだと思うよ。

その際に少なくともマスクによる発達の遅れの可能性は気にしなくちゃダメだ。ただし現時点でマスクは最重要で絶対というなら、それはそれでいい。

それならそういう前提でマスクによる経験の喪失を補う方法を考えたら良い。マスクと発達の遅れが関係ないとわかったらそれは無駄になるけど、それは必要な無駄だろう。(但しその証明はそんな簡単ではない)

そういう前提でどうやったらマスクを外しやすい環境を整えられるか考えたら良い。とりあえずその環境を整えるお金の問題まで考える必要はない。子どもの権利の代弁者はそのお金が得られるかどうか戦うべきであって、最初から施政者側の視点で妥協して考えるところではない。またマスクと発達の遅れが関係なくても、マスクを外せる環境への投資は無駄にはならない。

こういうことをせずに、マスクによる発達の遅れの可能性に言及せずに、まるでマスクと発達の遅れは関係ないという印象を与える言論を続ける人たちは、脱マスク反対の意識が強すぎて他人を操作する為にマスク安全神話を作ろうとしているか、或いは、認知が歪んじゃってエビデンスがない非科学的なものを真実のように思い込んじゃってるようにしか見えない。

 

はあ……

コロナのリスクを訴えている界隈は少ないのに期待できる人たちはほとんどいない……

(更に追記ここまで)

 

 

ここから蛇足

マスク着用などを訴えるコロナのリスクを重く捉えている人たちの一部にはボクの理解できない人たちがいた。

行動制限が不要のように言う人たちだ。

第9波のピークの頃にもそういう人たちがいた。いや、ピークがたいしたことがないというなら行動制限が不要だと言うのはわかる。しかし、そういう人たちはピークについて第8波と比較したりして騒いでいたのだ。

雑に言えばマスク以外の行動制限がない緩やかな減少では、ピークまでに5000人の死者や多くの後遺症者が生じたなら、ピーク以降にそれと同等の被害が生じる可能性がある。大きなピークに達した波は速やかに減衰させた方が良いに決まっている。

それなのに「行動制限は不要!マスク・アップ!」意味不明としか言いようがない。

マスク着用を訴えたら、行動制限が!というような人たちがいるのはわかる。しかし、そういう人たちからの反論を先回りして潰すことくらいしか役に立たない行動制限不要論を繰り広げるのは、最も大切なものという思考の前提を喪失しているようにしか見えない。

人の命や健康を大切だと思うなら、それを守る方に倒してできることを考えるべきではないだろうか。

ちなみにあの界隈の人たちは2023年の脱マスク以降の高ベースラインを第9波だ~と騒いでいたのだから、許容ベースラインはそれ以下の数字になるはずだ。

ちなみにボクもゼロコロナとは言っていない。ゼロコロナ論者からは、人の命や健康を大切にしていないと批判されるだろうけど、許容ベースラインなどを定めて、そのベースライン以下ならマスクや換気・ワクチン等の感染防止対策を行えば行動制限不要という論なら理解もできる。

コロナ禍前にはそうやってインフルエンザと共存もしていた。だからボクはとりあえずそのインフルエンザを目安として、年間の死者1000人或いは超過死亡10000人以下を目指すような年間総感染者数を想定している。せいぜい百万から数百万人だろうか。だから昨年のコロナの感染状況に関して簡単に言えば「感染者数が一桁多い」となる。よってコロナのリスクを高く捉えている派の人たちがピークの時に行動制限不要というのが理解できない。ピーク重視の視点なども考慮して、無理矢理理解するとすれば、医療崩壊などの問題に意識が偏りすぎていると言ったところだろうか。

 

そのピークに対する注目の高さ自体にも違和感はあった。波の面積=波の総感染者数の方が重要だと思う。もっと言えば

 

 

ちゃんと社会に対して発信をするなら、こういう分析・情報がもっと必要だと思う。