ざらめ煎さんがツイッター卒業かー。
コロナ禍が始まって以来、世界で新しい報告が出るたびにSARS-CoV-2の危険な側面が明らかになっていくけど人々の認識は世界的に「ただの風邪」だという方向にどんどん流れて行っている昨今、何とか流れを変えたいと思っている方はこの界隈には多いと思いますが、変わる可能性ってあると思いますか?
— ざらめ煎 (@zarame_senbee) 2024年1月21日
この問に関するボクの答えは「その可能性は低い」です。
「ただの風邪」というのは、資本主義社会における現在の社会の価値観、社会に潜在している価値観の民主主義上での表現だと考えているからです。
例えば「ただの風邪」と同じ現象は、気候変動にも見られると思います。根本的な科学的対策の正しさは評価されずに、経済を基準に対策の善悪が決められているというような点で。
このツイートに対して、コロナ後遺症などで社会が気付いて流れが変わる可能性を指摘するツイートもありましたが、ボクもその可能性はあるとは思いますが、それには2点ハードルがあると思います。
1つは「ただの風邪」として振る舞った人たちがどれほど多くの人を犠牲にしたのかという事実を認める痛みを乗り越えられるか。
もう1つは財政難からの切り捨てられる所探し(自己責任論など)に狂奔した社会が、コロナ後遺症を認めることによる財政支出の拡大の「予感」=痛みの予感を乗り越えられるか。
ここから逃げる人は例えば人を使い捨てと考えるでしょう。社会がこう流れれば政府や企業はさぞ喜ぶことでしょう。
逆に言えば、コロナ後遺症の社会的な認知の高まりによって社会の流れを変えるためには、「ただの風邪」と扱った人を赦すような雰囲気を前もってつくっておく必要があると思います。ただ財政の方は……難しいですね。
ちなみに自分はかなり悲観的で、パッと思いつきそうな「政権交代」とか「ここで粘り強く訴え続ける」とかには正直期待できないんです。政権が変わったとして野党でもこのウイルスの特性をしっかり理解して公衆衛生や非常時なりの医療体制を整備しようと訴えている議員をほとんど知らないので…。
— ざらめ煎 (@zarame_senbee) 2024年1月21日
ボクも「政権交代」が起こる事にも、仮に「政権交代」が起こったとしてもそれでコロナ対策が変わることにも悲観的です。
上の書いたように、ボクはこの現象を資本主義社会における現在の社会の価値観、社会に潜在している価値観の民主主義上での表現だと考えています。
だから政権が変わるとしても、リベラル、左派の応援する政党ではなく、「ただの風」政策を引き継ぐ政党が民意に選ばれると思います。
何年後かに政権交代を目指すと言って批判された党首がいましたけど、本当にリベラル、左派が応援する政党が政権を取るには(民意が激変する何かが起こらなければ)10年以上はかかるでしょう。仮に速やかに彼の政党が政権交代を目指すなら、新自由主義なユ党としてあの辺と協力するしか今の社会では選択肢がない気がします。
新自由主義的な価値観、思考の土台としての新自由主義なモノが社会に根付いていくことにリベラル、左派が鈍感であったことが今の社会になった一つの要因だと考えています。世界的な潮流もあるのでどこまで食い止められたのかはわからないですが、今よりはマシなバランス感覚の社会というのはあり得たように思えます。
社会にどっしりとヤバい価値観が根付いてしまって、人権的な考えの根が枯れてしまった現在に至ってしまっては、ヤバい根を取り除き、人権の種を植えて根付かせるまでに10年は軽くかかってしまう気がします。
しかし残念なことにリベラル、左派の人権的な考え自体が一部の人(声のでかい、他罰的傾向のあるエリートの人)の感想に偏っていて不寛容って問題があって、人権の考えを根付かせる役割を担う人たちの人権観がそれではディストピア一直線の予感しかしなくて、ボクは応援したくはありません。
そして今は悪い所取りの社会ですね……。
しかし自分が正しいと思うことを「粘り強く訴え続ける」は、これから生まれてくる子供、今の子供が大人になる10年後20年後の未来の社会の為に諦めちゃダメなのではないでしょうか。
あとウィズコロナ、学校の脱マスク……大人の犠牲にされたと気付いて声を上げ始めた子供たちが声をあげ始めたら応援するってのは決めてます。
ボクも「ただの風邪」という流れを変えられなかった大人として子供を犠牲にした当事者なのでそれ相応の痛みを伴うのは仕方がないと思っています。この件については保身で認知を歪めないように努めたいと思います。
#今、世界規模で変わらないと気候変動がもの凄くヤバい可能性もあると思う。