sozinkouのブログ

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老害

老害って、加齢による常識への過適応や思考力の柔軟性の低下、自己保身への執着によって、若い人の生き方を阻害する高齢者みたいな定義だと思うんだよね。

んで、これからエイジズムなワードを外すと、常識への過適応や思考力の柔軟性の低下によって誰かの生き方を阻害する人たちになる。

 

こんなのは30代でも40代でもたくさんいる。

そもそも老害っていう言葉自体にも価値観の押しつけや排除という要素が含まれているから、老害っていう言葉を使うこと自体が老害的な行為だと言える。そういう意味では論破という言葉の使用も老害的な場合が多い。

そういう言葉を自分の生きる場所を広げる為に使っているか、他者の生きる場所を奪う為に使っているか……簡易的には害になっているかを判別できる。

まあ後者の場合、そもそも他者の生きる場所を奪うこと自体が生きる意味→自分の拡大だし、鏡を見ても自分の拡大に焦点が当たるだろうから、外からは判別できても自己診断は不能だろう。

 

マスコミ様が重宝しているコメンテーター様にもたくさんいる。どこかの若手政治家様にもたくさんいる

例えば、自己責任論や考えることを止めた安易なトロッコ問題化は、弱者を含めた様々な人の自分らしい生き方を妨害しているという点で、老害と同じ行為を行っている。

そして、もっと言えば、そういう偏ったコメンテーターの人選やSNS上での少数の発言を取り上げて社会問題化して、人から自由を奪い、多様性を奪い、社会を生きにくくすることに熱心なマスコミ様なんかは現代社会においてハードな害と言える存在になっている側面もある。

リベラルやフェミニズムもそういう側面を強く持っている。ただまあ彼らを実際の害にするのは、マスコミや政財界のエリート様がエゴイスティックにエリートが生きやすい社会を志向して、彼らを利用しているときなのかもしれない。