著作者人格権というのは、著作者のアイデンティティを毀損させない為の権利でしょう。そしてアイデンティティの毀損というのは重大な人権侵害だと思います。
マスコミがしょっちゅう報道している差別だって、ハラスメントだって、イジメだって、アイデンティティの毀損の問題という側面はあります。あの事件にもそういう側面は強くあるのにマスコミがそれに焦点を当てなさすぎのように感じていました。
あの事件に際して、作品を職人気質の結晶のように言う人がいましたが、我が子と喩えている人もいましたが、私は作品を自分自身の分身(自分自身が伝えたいメッセージを代わりにそれぞれの読者に伝えてくれるもの)であるように感じる人もいるのではないかと思います。
追記
沢山の方に読んでいただき、現在公式サイトに繋がりにくくなっているようです。
— プチコミック【公式】 (@petitcomic) 2024年2月8日
これは、プチコミックが所属する第一コミック局という少女・女性漫画の編集部員全員で作り上げた文章です。
長いですがどうぞ最後までお読みください。 pic.twitter.com/1tilPe2s7y
賛否ありますが、個人なお気持ちとしては、最後の方の
私たちの気持ち表明にならぬよう
という言葉に、編集部の属性とどちらの方に向いているかを垣間見るようでした。
ちなみに私なら大切な人を追悼する場合の外向きの言葉には「寂しい」は使わずに、「ありがとうございました」を使います。身内と話すときには「寂しい」を使います。
また
「著作者人格権」という著者が持つ絶対的な権利について周知徹底し(中略)再発防止において核となる部分だと考えています。
これ自体は正しい主張だと思いますが、私は編集部においても「著作者人格権」に対する認識が甘かったと感じます。原作者と近しい編集部なら原作者の「著作者人格権」が毀損されていることに気づけるタイミングは何度かあったはずです。そのときになぜ気がつけなかったのか。編集部自体の考え方の根底に、ビジネスへの偏向や忖度とそれらに起因する「著作者人格権」への認識の甘さがあったとしか思えません。その辺りに対する自覚と反省の言葉がないのがとても気になります。
そしてこれは上記の「気持ち表明云々」で感じたのと矛盾しない属性でもあります。