1. ユニバーサルマスク
誰が感染しているかわからない。
無症状でも他人に移すことがある。
それがユニバーサルマスクの意味です。逆に言えばマスクを付けないというのは、他人にコロナを移しても良いということです。もちろんコロナに感染してない確信があるのなら別です。しかしそんな確信を持っている人はほとんどいないでしょう。
もっと言えば、街中では様々な人に出会います。どんな健康上の問題を抱えている人と同じ空間にいるのかわかりません。そんな人に移して死んでも構わないと言うことです。
少なくとも責任ある立場の人間、教育や、保育に携わる人間が持って良い価値観ではありません。
しかしまあ確かにユニバーサルマスクという概念は理解するのが少し難しくはあります。
2. マスクの子供の発達への影響
マスク着用派の人たちの「マスク着用により子供の発達が遅れるというエビデンスがない」というマスク着用の正当化は大いに疑問です。
マスク着用ということに重きを置いて考えるのであれば、空気感染というエビデンスがない状態かつ空気感染に対するマスクの効果のエビデンスもない状態での、(マイクロ)飛沫対策としてのマスクは有用だったでしょう。
マスク着用についてエビデンスに拘っていたらコロナ感染により取り返しの付かない影響を受けた人は増えたはずです。
同様にコロナ禍の子供の発達の遅れも全く軽視できない人生への大きな影響のはずで、とりあえずエビデンスに拘らずにマスクの着用も含めてコロナ禍前の状態に出来る限り戻すということについては考えるべきです。
ただし設備や制度の不備が大きい現状では学校や未就学児施設でマスクが外せる状態だとは考えていません。
3. 手段と目的
脱マスクというのは、コロナという感染症を軽視するための手段ではあって、脱マスク自体が目的ではありません。
もちろん脱マスクによって利益を得られる業界(外国人観光、コスメ、顔を売りたい職業である芸能、政治)とか正しい行動をしている自分に酔えるような手段を目的化する人たちとか目的の人たちも大勢います。
しかし上の方の脱マスクに対する認識は、新自由主義と結びついたコロナ軽視政策の為の手段の一つでしょう。そう考えた方が他の政策やマスコミ報道(広報)との整合性がとれます。
4. コスト
明けてないコロナを明けたことにして動かした経済政策は、海外では随分前から指摘されているコロナ後遺症者による労働者不足や医療費の増大というマイナスの経済効果を考慮してない近視眼的なものに見えますがこれから大丈夫なのでしょうか?
5. 着用のすすめ
科学的な人間だと自負しているならマスクの効果は科学的に証明されています。
高いモラルの人間だと自負しているならパブリックでマスクを付ける事は最低限のモラルです。
もし脱マスクの人たちの中で権利には責任があるという価値観を持つ人がいるなら、マスクを付けることこそが自由(権利)の為の責任です。
笑顔だなんだと言っている人たちは、科学によって安全にマスクを外せる場面が増やせるようにその環境を作る努力をして下さい。安全にマスクを外せる環境ではないのに外させようとするのは笑顔を求める資格などないどす黒い悪です。
低モラルで情弱なエゴイストには何を言っても無駄なので諦めます。
6. 私の憲法解釈
7. 私のエビデンス解釈
取り返しの付かない健康や命を守るためにローコスト、リスクほぼゼロのマスク着用にエビデンスが必要
経済を回すの為ならローコスト、リスクほぼゼロのマスクをわざわざ外す脱マスク施策のベースとなるエビデンスは不要(お気持ち表明、感情論でOK)
逆。虐。
エビデンス肯定、感情論否定の人は、他者には常にエビデンスを求め、他者の感情論を否定するが、自分のことになると都合の良い場合だけはエビデンスを振りかざすが、一方で無自覚に感情論も振りかざしている。
9. 思考のフレーム
チェリーピッキングという人は、民衆コントロールの手段の一つとしてチェリーピッキングを思考のフレームに持っている。
名誉毀損という人は、民衆コントロールの手段の一つとして名誉毀損を思考のフレームに持っている。
印象操作という人は、民衆コントロールの手段の一つとして印象操作を思考のフレームに持っている。
いつもしていることだから、相手もそうしていると考える。
9. 子供のマスク着用、大人のマスク非着用
大人になる過程で人は失っちゃいけないものを失ってるのかもしれない
そもそも大人になる過程で人として必要なものを身につけられてない人が大きい顔をしているのかもしれない
大人になる過程で獲得したアイデンティティやイデオロギーに支配されて、柔軟性を失うのが老害なのかもしれない