sozinkouのブログ

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エンターテインメントやアートに携わる人たちの人間性の偏り

タイトルの人間性の偏り自体にはネガティブな意味はありません。

例えば、エンターテインメントやアートには

多くの人に認められたい

努力すれば願いは叶う

みたいなメッセージが込められているものって多いと思うんです。

抽象化すれば、ミクロよりマクロに重きを置く価値観とでも言うんでしょうか。

エンターテインメントやアートという職に向いているのってそういう価値観を持っている人たちだと思うんです。

 

しかしボクは世捨て人なので、多くの人(マクロ)に認められたいとは思わないです。身近な人(ミクロ)の些細な役に立てればそれで満足です。叶えたいのは願い(注:大抵の人の願いは社会と関わりの深いマクロなものです)というより個人的な自己満足的な課題のクリアです。

でもミクロ全振りの世捨て人はそんなにいなくても、マクロとミクロならミクロ側の人ってたくさんいると思うんです。

そういう人たちはエンターテインメントやアートで表現されている人間のマクロな輝きに影響されて今の自分の輝きを過小評価しているかもしれませんし、ミクロな輝きに十分な価値を見いださない社会に不満を感じているかもしれません。さらに言えば、ミクロ向きの性格をしているのにマクロでの活躍志向をしてもがいている人もいるかもしれません。

 

ようするに、芸術やエンターテインメントという夢を与えることに従事する人たちの価値観って偏ってると思うんです。必然的に世に出る表現というのも偏っているはずで、その偏りが社会の価値観の構成にマイナスの影響を与えてるんじゃないかと思うんです

 

なお広告はあきらかに社会の価値観の構成にマイナスの影響を与えた、与えている、与えるだろうと思います。