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社会が医療従事者や福祉従事者の心につくってはいけない染み

倉田真由美氏の“怒る医療従事者”に対するツイートが波紋 知念実希人氏も「暴言」― スポニチ Sponichi Annex 芸能

 

医療従事者が「病気になった人を責める」のが良くないというのはわかります。しかし責めているだけで、病気になった理由で患者に対する治療等の支援に差をつけたいまで行かなければギリギリ踏みとどまっているのではないでしょうか。

しかし気をつけて日常を過ごしている人とコロナ禍で夏休みに遊びに行って感染した人に差をつけたいというならそれは一線を越えていると思います。透析患者は自堕落な生活を送った患者だから医療費は自己負担にすべきというのと大差がありません。

切り捨てたい人を切り捨てられる理屈を探す。今の世の中にそういうのは溢れています。自己責任論なんかは典型でしょう。

コロナの感染者が増えすぎてコロナの感染者になった人を責めるというのは、そこから助けたい人と助けなくない人を分けることに繋がりかねず、またその自己の選別を正当化するために変なヤバい理論武装に至りかねないことを考えると、危険なことだと思います。

しかし、それは医療従事者から心の余裕を奪っている社会が悪いのであって、医療従事者に「感染者を責めるな」と求めるのは酷でしょう。責めたい気持ちは私にもわかります。責めてしまう自分とそれを考えてはいけないと否定する自分のせめぎ合いの苦しさもわかります。もっといえばコロナ禍後に病気になった人を責めたことが心のしこりとなっていつまでもせめぎ合いで苦しむ医療従事者もいるのではないかと心配です。

医療従事者から心の余裕を奪い、病気になった人を責めてしまうという状況もまた医療崩壊です。そして社会が医療従事者の心の余裕を奪ったことから彼らが考える必要のないことを考えてしまい、心に染みが生じたなら、それは『福祉としての』医療制度崩壊の芽です。社会は医療を支える人が健全でいられる状態を提供しないといけないと思います。大規模な自然災害や事故が原因となって医療従事者が選別を考えなければならなくなることはあるでしょう。しかし人災によって選別を考えさせてはいけません。

またこの機会になし崩し的に選別の価値観を広めようとする医療従事者については強く非難します。

 

話が少しだけ関連した話として、生産性で人を判断する価値観が強い社会で、医療従事者や福祉従事者は健全でいられるのだろうかと考えることがあります。

例えば、コロナの死者数の話題になると「死んでいるのは高齢者だから」という人たちがいます。仮にこういう声が多数派の社会だとしましょう。

そうすると、もっぱら高齢者と関わる医療従事者や福祉従事者は、社会が価値を低く見ている人たちを支援しているということになります。

そういう社会は医療従事者や福祉従事者の存在価値を正当に評価できるでしょうか?私はできるとは思えません。

そういう社会で医療従事者や福祉従事者は自分たちの存在価値を正当に評価して活き活きと生きられるでしょうか?私はできるとは思えません。

いや、もちろんそんな社会の価値観なんてお構いなしに、目の前の困っている人と救いたいという人はたくさんいると思います。しかし、社会の評価を気にする人たちもいるでしょう。

それではそういう生産性で人を判断する社会で医療従事者や福祉従事者はどうやれば自分の価値を高く位置づけられるでしょうか。「自分の助けている人は生きる価値の高い人だ」ということになってしまうのではないでしょうか?。また生活のために仕事に就いている人の弱者に対する視線はどういう傾向が強くなるのでしょうか?

これからどんどんと社会の生産性という価値観が強まれば、生産性という価値観が医療従事者や福祉従事者の心に染みができる人が増えると思います。そもそも心に染みがある人が社会に増えて、医療従事者や福祉従事者に紛れ込むことも多くなると思います。担い手の減少や担い手の質にも関わってくるはずです。

私は生産性という価値観の乱用は医療崩壊、福祉崩壊を招く価値観であると思います。

児童福祉というのは福祉の中でも特殊で社会の生産性とも繋がる概念です。しかしそれは将来も活き活きと生活して欲しいという願いを込めて子供に児童福祉を提供した結果として社会の生産性に寄与すべきで、将来の社会の生産性を向上させるために児童に福祉を提供しては本末が転倒してしまいます。

幼児教育は福祉の一環として必要だと思いますし、そしてそれは個々の幼児の興味を上手く引き出せれば、それぞれそれなりに深まるでしょうが、その深まりの方向を生産性の価値観でねじ曲げるべきでありません。

当然、幼児と生産性を結びつけて、その向上を誇ったりすべきでも、自己のアイデンティティと結びつけるべきでもありません。