sozinkouのブログ

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選挙に行かないから

みんなが選挙に行かないからどうたらこうたらというリベラル、左派の社会に対する認知って歪んでいると思う。

新自由主義、自己責任論、財政再建等々……そういう市民社会にある価値観の反映が今の政治が選択されているという部分がある。

そういう価値観から見たら、反政権の受け皿がないから選挙に行かないのだ。逆に言えば、選挙に行ったら、そういう社会において支配的な価値観の影響を受けた投票活動をする。もちろん本位では全くないリベラル、左派に泣く泣く投票する人もいるだろうが、リベラル、左派が思ってる比率で投票活動は行われない。みんなが選挙に行っても、社会はリベラル、左派が思ってるようには社会は変わらない。

それはリベラル、左派が自分たちが極めてマイノリティで、しかし自分たちの価値観を広めようにもそれを理解してもらえる土台すら社会には希薄だという社会に対する認知から逃げているというのが根底にある。

リベラル、左派が社会を変えるには、まずリベラル、左派の考えが伝わるような価値観を広げることからはじめる必要がある。直近には活動を通じた手応え、心地よさを感じることなんてできないもの凄い茨の道を進まなければならない。

しかし現実には逆で、リベラル、左派は活動を通じた手応えや心地よさを刹那的に求め、独善のエコーチェンバーを起こして極化し、人間の本質から離れた理屈を振りかざして人々を遠ざけている。

リベラル、左派の選挙に行かないからなんてのもその一環の責任転嫁に過ぎない。

みんなが選挙に行かないからというなら、まずはリベラル、左派が、みんなが選挙に行ったら社会が変わるような社会に変革しようと奮闘して欲しい。みんなが選挙に行ったら社会が変わると思っているならまずは社会と真正面から向き合って欲しい。

社会に新自由主義のような価値観が蔓延する前にカウンターを打たなければならなかった。カウンターが足りないままに20年以上が失われ、新自由主義のような価値観は逆に社会において強化されて、社会を変えるのに必要な年月は大幅に伸びてしまった。

そして今もまだ社会に対する認知の歪みによって、社会の価値観を変えようとする活動は大幅に欠如している。あと何十年失うつもりなのだろう?

もう大きな災いに備えて社会を変えるのではなく、大きな災いがきっかけにならないと社会は変わらないのかもしれない。