sozinkouのブログ

取るに足らないナニカが素人考えを綴る場所

子育て支援(少子化)

最近のリベラル、左派には「弱者より子供を産んで育てようと思えば十分に育てられるような中間層から上の施策が求めてない?」って違和感があるんですよね。ああマスコミの方々の収入層と重なりますね。偶然なのでしょうか?

その違和感に従って活動を見てみると、子育てに固定的な育成マニュアルがあって、そのマニュアル通りに育てるのが子育ての正解、そのルートから外れたら子育て失敗というような頭でっかちのインテリゲンチャが先の先まで計算して、「お金が足りない。子育て支援!」と大声で言ってるように見えます。

そして、その計算には「子供の為の自分の犠牲を減らしたい」「自分の犠牲を減らすためには自分のお金ではないお金が必要」というような考えが入っているようにも見えます。

そういう偏った価値観の大声が「子供を育てられない……」って呪いを社会にかけている側面もあると私は思います。

 

ところで、リベラル、左派の子供育成マニュアルというのは、子供の自ら育つ力を事を信じる力が足りないと思います。過保護に過ぎるというか。

毒親批判や学校批判などを見るに、最も弱い子供とか最も権威に従属的な子供とか……要するに子供の頃に大人に逆らえず言いなりになって、やりたくないことをやらされて、それがトラウマになっている自分を基準にし、自分同様の性格や個性を持っている子供の養育に偏った視点で子供と大人の関わりを考えすぎていると思います。

ハラスメント批判なども合わせると人と人との関わりについても、自分同様の性格や個性を持っている人を基準とした偏った視点で考えすぎていると思います。

ちなみに、自分が子供の頃に単に嫌だったものを結論ありきで否定する酷い例が、「学校で掃除をさせるのは児童労働」「体育は軍国主義の名残」といったものに見られます。一側面しかみない偏ったモノの見方です。

話が逸れました。もちろんそういう子供は守らないといけません。しかし私の子供の頃を基準にすると、リベラル、左派というのは私の育ちを妨害しています。リベラル、左派は主観に囚われずに、もっと多様な子供、多様な育ち……即ち多様性を考慮して、教育観を構築すべきだと思います。弱い子供を守るのと弱い子供を基準にルールをつくるのは別の側面もあるということです。こういうと自分たちの価値観に合致するルール下の方が貴方は良い育ちをしたとでも反論する救いがたい人たちもいると思いますが……。

学校(大人)と生徒(子供)の関係なんて「上有政策下有对策」で済むうちはそれでいいんです、大多数には。では、それで対応できない個性を持つ少数をどう守るか、例えばその対策が不登校などという策である場合にその子供の育ちをどう保障するかという風に考えるべきだと思います。もちろん「上有政策下有对策」で済まないようなものは社会問題化すべきだと考えます。