sozinkouのブログ

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社会心理学

コロナ禍で興味を覚えた社会心理学系のテーマ

 

人は確率を考えるときに主観に囚われるのか

1月にオミクロンの死亡率が0.2%、0.1%のインフル並って言論が流れたとき、私はその死亡率が十分に高いと考えました。死亡率0.2%なら感染者の500人が亡くなるということです。

確かに高齢者でなければもっと確率は低いです。現役世代は自分は死なないだろうと考えるでしょう。しかし個々の確率は低くても、オミクロンにかかる人が多ければ死ぬ人はいます。社会について考えるときは、社会でどのくらいの人がそのクジを引かされるかを考えるべきでしょう。死亡率1%、感染者100万人と死亡率0.1%、感染者1000万人では確率上同じ1万人に死亡者が出ます。

しかし現実は死者数より死亡率を強調して、オミクロンの波はそれより前の波以上の死者数を出して、平然としています。

ワクチンの安全性についてもそうです。ワクチンを人口の90%に3度打てば、3億という数字になります。何かしらの影響を受けるのが100万人に一人でも300人が影響を受けると言うことです。重度の副反応の確率が0.0001%としてもそれを0と考えるべきではありません。

頭の良いはずの専門家にもそのような誤謬は見られます。無能で説明できることにに悪意を見いだすなと言われますが、敢えて悪意を見いだせば、これはワクチンを打たせるという目的が先にある結論ありき、上から目線で市民を操ろうとしているのかもしれません。

 

単なる確率を身近に感じられないとして(高齢者の死亡率を考えれば、高齢者が身近にいればオミクロンによる死は身近だと思うのですが……)、それではどのくらいオミクロンによる死が身近で起これば、オミクロンのことを身近に感じる人が多数派を占めて社会の雰囲気が変わったのでしょうか。

総人口1億人の国でオミクロンの死者数が2万人なら5000人に1人が亡くなったことになります。しかしその死を身近に受け止めて減らそうと考える人は見られません。人や社会との接点が多い(高齢者ではない)世代の死者数が少ない影響はあるのかもしれません。

それではコロナ後遺症はどうでしょうか。仮に1年後に症状が残る人を1%とします(これは既存の情報を見る限りでは低い設定だと思います)。感染者数を2000万人とすると20万人、500人に一人が苦しんでいる計算になります。しかしこれもまた社会はコロナ後遺症ヤバいという方向には進んでいません。

逆にこれまたハンロンの剃刀に逆らった思考をすれば、オミクロンに1000万人感染、2万人死亡では社会のウィズコロナの雰囲気は変わらないと施政者は考えたのかもしれません。

繰り返しになりますが、ある現象が身近だと感じるのは人口に対してどの程度の割合のことなのでしょうか。

またこれについては、別の視点の問題として、

統計よりも「1人のストーリー」が有効な理由 | WIRED.jp

という記事を挙げておきます。

 

しかし例えば途上国の水問題のような自分への影響が極めて少ないことを軽視するのは兎も角、自分への影響も1000分の1でありうるというような確率(自分の大切な人も含めたらもっと確率は上がる)でも事態を軽視できるとは思ってもみませんでした。