sozinkouのブログ

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5類という結論ありきの話

コロナを5類にすることですが、その結論にする為に間違った前提条件が設定されています。その結論に拘る動機は何かについて、ここで考えるのはやめておきます。私はコロナの関係のお金を浮かせたいというのが動機の一つだとは思ってはいます。

コロナはインフルエンザ並という間違った前提条件が設定されていますと考える根拠は、5類にするにはまず「本当にコロナはインフルエンザ並として扱って良いのか」とデータや科学に基づいた慎重な議論が必要なはずですが、そのプロセスが全く欠けている事です。そしてその議論もなく設定された間違った前提条件の下で、政府は新型コロナ対策を緩和しようとしています。

さらにそのような人命軽視の政策に対しては、メディアがその権力監視機能、批判機能を果たすべきなのですが、政府の広報と化したメディアや専門家は、その間違った前提の元でメリット、デメリットを語り、社会に広めています。

そのようなメリット、デメリットは「コロナはインフルエンザ並」という間違った前提条件でしか合理的、論理的ではありません。要するに間違った前提の上で考えられた論は間違っています。

逆に言えば、少しでもコロナという病気を深刻に捉えている人ならば、その論の粗が見えるはずです。そして現実のコロナはインフルエンザ並ではないので、その論の通りにはならずインフルエンザと同様に扱ったら医療も社会も経済も破綻する可能性が高いと想像できるはずです。

そろそろオミクロンの4万人の死者というのはインフルエンザの死者の10倍以上だという現実、感染拡大防止策によってコロナより何倍も上手くインフルエンザを押さえ込めていたという現実と向き合いましょう。コロナは感染力においても死亡率においてもインフルエンザ並ではありません。

 

蛇足。ちなみに5類にすることによって事態が悪化した場合、どこがその政治の失敗の責任を取らされるのでしょうか。私は保健所(現場からの声)と専門家と市民(自己責任)に押しつけられると思います。

歴史的には民主主義におけるマスコミの重要さの負の事例として記録されると思っています。政府や行政府の広報化して批判機能と倫理観を失ったマスコミの罪はとてつもなく深いです。

 

次は脱マスクも結論ありきだという話をします。続く。