sozinkouのブログ

取るに足らないナニカが素人考えを綴る場所

新型コロナの確率論

新型コロナの確率論といっても数学の話ではなく。

オミクロンの死亡率を仮に0.2%としましょう。これは感染者1万人あたり20人です。国民の20%に感染したとすると、国民1万人あたりで4人が亡くなる計算になります。総死亡者数を計算すると現実より多くなりますが、とりあえずそれは本題とは関係ないのでこの数字で始めます。

1万人が感染して4人が死亡する感染症というのを考えたとき、個人はそのリスクをどう受け止めるでしょうか。そのリスクを高くないと考える人も多いのではないでしょうか。

私も実際にはきっと2500分の1くらいの奇跡は身近で何回も起こっているとは思うのですが、実感できる体験としては少ないのでまず滅多に起こらない確率のように感じられます。

次に、1万人が感染して4人が死亡する感染症というのを考えたとき、それが社会に与える影響はどのくらいでしょうか。それは感染力に拠ります。1万人しか罹らないなら死者は4人です。1000万人が罹れば4万人、5000万人が罹れば20万人と多くなります。オミクロンは4万人弱です。

すなわち個人では低く感じられる数字でも、試行数が多くなればなるほど社会に与える影響は大きい。

オミクロン禍においては、死亡率を「個人が自分が死亡する確率(リスク)」と偏った見方で捉えて、社会に与える影響を過小評価します。

社会を構成する人々のその偏りを正すのは、政治、行政、専門家やマスコミの役割ですが、現実には、それらの人々が率先して死亡率を強調することによって、オミクロン禍初期から十分に予測できたオミクロン禍で起こるだろう現実を、今このときを、市民が偏った見方で捉えるように先手先手で誘導して、社会に与える影響を過小評価させました。

私は議論無しに誘導によってなし崩しになされたこの現実に耐えられません。オミクロン禍の死亡者数の多さが死亡者を減らそうと努力した結果ではなく、これくらいは死んでも仕方がないと努力を怠った(我慢を諦めた)結果であることに耐えられません。社会の一人一人がしっかりと考えた結果として、この今があったらまだ違ったでしょう。もちろんそれでも社会に対する不適応感はあったでしょうが。

 

最後に。

1万人が感染して4人が死亡する感染症と書きましたが、この数字が年齢によって大きく変わるという要素もあります。これもコロナ(感染症)の死亡率を考える上で大きなファクターだと思います。

若ければ若いほど自分のリスクは低く、そのリスクの低さをベースに考えると、社会に対する影響を過小評価してしまうということです。

そして、個人のリスクに偏った過小評価を正すのではなく、逆に後押しすることを目的とした非倫理的な理屈が「死ぬのは高齢者や健康弱者だから」です。