死亡率の低さを取り上げて、死亡者数を過小評価、経済を回すために必要な痛みのように報道するとすれば、それは人の命や健康、人権といったものを過小評価、軽視していると言うことです。今のマスコミの報道は人道の罪レベルです。
まずは完全に災害レベルの死亡者数を取り上げて、感染者数を抑制する必要性のある(「命を守る行動を」取る必要のある)ことを訴えつつ、次に死亡率の低さを病気に対する正しい知識、正しく恐れる為に取り上げるのが倫理的であると考えます。
そして正しく恐れるというのは自分のリスクという主観的なものではなく、客観的に高リスクの人のコロナ、オミクロン罹患リスクを正しく認識して、この病気は社会にとって脅威だと恐れるのが倫理的であると考えます。
高齢者にとって脅威なら社会にとって脅威です。そのように報道していますか?
またインフルエンザの死亡者数は、少し古い資料ですが新型インフルエンザに関するQ&A|厚生労働省(Q10)にあるように、
年間でインフルエンザによる死亡数は214(2001年)~1818(2005年)人です
オミクロンの死亡者数は20倍です。全くインフルエンザ並ではありません。
それではインフルエンザの死者が1万人というのは何かというと、
直接的及び間接的にインフルエンザの流行によって生じた死亡を推計する超過死亡概念というものがあり(中略)日本で約1万人と推計されています。
というものです。この概念で推計すれば、オミクロンに死者が1万人ということは全くありません。現に超過死亡過多は現象として現れています。
私は超過死亡概念ではなく、純粋にインフルエンザの死亡者数が年に1万人なら、それはインフルエンザがただの風邪と軽視されるリスクでは全くなく、逆に死亡者数を減らす努力をすべき感染症であることを示していると思います。
ゼロ死者なんて無理と言われるかもしれませんが、それなら年間死亡者数1000人を目指して下さい。高い目標で達成できるかどうかはわかりません。しかし目指して下さい。
オミクロンの死亡者数4万人を、死者を減らす努力を怠って、「このくらいなら……」と容認するレベルでは全くないと考えます。
マスコミは社会の倫理観を壊し、歪めることに没頭するのではなく、まずは報道機関として真っ当な倫理観を取り戻して下さい。
蛇足。
マスクや空気清浄(換気含む)というのは最も持続可能で(顔を覚えてもらうのが職業でもない限り)手軽で身近で、感染拡大防止に一定の効果がある科学的な手段です。
すなわち脱マスクを求める姿勢、空気清浄に対して鈍感な姿勢は、現在のオミクロンの死者を許容し、減らす努力を怠るどころか、もっと死んでも良いという表明です。付け加えれば、その姿勢に科学的な裏付けがない(というより科学の逆を行く)ということは、それは極めてエゴイスティックな感情論に過ぎないと言うことです。感情論の屁理屈に他者、特に子供を利用しないでください。エゴで子供に無駄なリスクを背負わせないで下さい。極めて卑劣です。
貴方達は人間も経済も救えません、いや、救いませんでした。
さらに蛇足。
どのくらい先かはわかりませんが、私はこのコロナ禍は民主主義における倫理観喪失の時代とされると思います。
そして権力の批判機能を失って、権力機関の一部としてその機能を果たし、社会のコントロール側に回ったマスコミ、報道(権力機関の広報化)は民主主義にとって害悪にしかならないという新たな事例となると思います。
幽遊白書で「黒の章」ってビデオがありましたが、このコロナ禍において、そこに収録されてもおかしくないものをマスコミが率先して現実社会に顕現させるとは思いませんでした。