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レトリック

玉井直裕(著)「新型コロナウイルス感染をのりこえるための説明書」

誰かを批判しても悲しんでも誰も守ってはくれません
近づいてくるのはコロナだけです
我々は自分で自分の身を守るしかありません

という文章のコロナを強盗に変えるだけでこの文章のおかしさはわかると思います。
わかりませんか?すなわち、こういうことです。
”誰かを批判しても悲しんでも誰も守ってはくれません
近づいてくるのは強盗だけです
我々は自分で自分の身を守るしかありません”
以下、強盗の手口を記し、危険な場所や夜に一人で出歩かないとか防犯ブザーを携帯するとか家の戸締まりをしっかりするとか防犯ブザーを取り付けるとか警備会社に入る方法などの市民が自分自身で強盗から身を守る方法が記されます。
確かに、強盗の手口を知ることは強盗から身を守る事に有効です。強盗からの具体的な身の守り方というのは有用な情報です。
しかし、そうやって強盗に付け入る隙を与えずに自分の身を守る事だけが強盗との戦いでしょうか?警察の機能を強化する、防犯カメラをつける、防犯の見回りをする……強盗が仕事をしにくくなる公助は様々なものがあるはずです。その必要性を訴えるのはおかしな事でしょうか?自助ばかりを求めて公助は足りない事を批判するのはおかしな事でしょうか?私はしっかりしたまともな公助を求める事(批判すること)は必要なことであると考えますし、自分の身を守ることに繋がるとも考えます。
それはそれ、これはこれ、お互いに独立した要素でどっちも必要と言うことです。
そもそも批判してる人の中には自分の身を自分で守ってる人も多いと思います。なぜ自分の身を守ってないと思うのでしょう?自分で身を守りたくないから公助で守れと批判しているわけではないでしょう。