sozinkouのブログ

取るに足らないナニカが素人考えを綴る場所

広告によってつくられる社会の価値観の土台

野村不動産プラウドのCM

幸せの形に正解がない時代

自分で人生を選ぶこと

それが掛け替えのない豊かさなのです

 

この言葉はもちろんCMでは不動産のことを指しているのだけれど、視聴者はこの言葉を抽象化して、自分の経験を想起している。

それはきっと、みんなに認めてもらえた選択とその結果ではなく、誰かに否定的に扱われた選択とその結果だったり、

逆に自分が認められた誰かの選択とその結果ではなく、自分が否定的に扱った誰かの選択とその結果だったりするのだろう。

この言葉によって、視聴者は「自分のあの選択は正しかった」「あの人のあの選択は正しかったのだろう」という思いも強化していく。

こういう価値観のCMが増え、こういう価値観に人々が接する機会が増えれば、その強化はもっと強くなるだろう。

ところで。

この言葉は安楽死の受容にも使える。

「自分の安楽死の決断は正しい」「あの人の安楽死の決断は正しかった」

ボクは安楽死を否定していないから、こういう価値観が広がること自体は歓迎だけれど、人をもっぱら生産性で判断したり、公助を削ろうとするような新自由主義者などの勢力にこういう価値観の広がりを利用されたくはない。

だから、ボクはこのCM自体を批判するつもりは全くないけど、このCMには警戒感を覚えてしまう。

社会にこのまま広がって良いのだろうか……と。

こんなボクがそう感じているのに、安楽死に反対しているようなリベラルや左派はこのCMには何も感じていないようにみえる。

こういう鈍感さが、新自由主義のような価値観を社会にどっしりと根付かせ、リベラルや左派を衰退に追いやった一つの要因だと思っている。