sozinkouのブログ

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リベラル、左派の偏り

ネットで観測しやすいリベラル、左派でも声が大きい人たち(ラウド・マイノリティ)の思想ではなく人間性の偏りの話。

 

  1. 他罰的傾向
  2. 社会というマクロでの承認を求める
  3. 原理主義
  4. 客観性に欠ける→自分たちの正しさに関する誤謬
  5. 客観性に欠ける→自分の所属している社会の誤認

 

この集団の偏りによって、マジョリティやマジョリティ的価値観を有している弱者の小さな声を正しく聞く能力が欠如している。

 

この集団の偏りによって、彼らの主張する正しい社会というのは、正義の弱者戦士以外の弱者は幸せになれないし、マジョリティも幸せになれない社会になってしまう。結局、それで幸せになれるのは「自分が正しい!」「この正しさを社会に広めねば!」と戦い続ける事をアイデンティティとし、生きる喜び、生きる目的にできる人=声デカ主観独善リベラル、左派彼ら自身とそのアンチ(相互依存的に)だけだろう。

 

もちろん反差別主義運動もおかしくなる。

被差別者を救えずに、余計に苦しめるようなことも平気でする。例えばトランスジェンダーの性別適合を望む気持ちを「社会がトランスジェンダー差別を行うから、このように考えるようになる」と社会の差別による被害と捉え、また性別適合を個人の嗜好による整形手術のように捉え、当事者の気持ちを過小に評価して、大事にしようとしない。

 

リベラル、左派の声デカ活動家でも福祉を掲げるけど、福祉業従事者というのは、リベラル、左派の声デカ活動家の重んじるマクロで抽象的な社会からの承認ではなく、ミクロで具体的な個人との関係の中に価値を見いだしているように見える。リベラル、左派の声デカ活動家がそれを共感的に理解できてるとは思えない……っていうか、その辺の常識的なちょい保守的な普通の人たちのがそういう感覚を知識ではなく理解できるのではなかろうか。

 

客観性に欠けることによる誤謬が顕著に出ているのが、みんなが政治に関心を持って、選挙に行けば、リベラル、左派の応援している人、政党が勝利するという考え方に出てるんだよね。しかし今の社会の思考のフレームは新自由主義に多かれ少なかれ影響を受けているから、先鋭化しちゃってるリベラル、左派は反政権票の受け皿じゃないんだよね。小選挙区の2択で血の涙を流しながら泣く泣くリベラル、左派に投票するとかそんな感じ?(ま、そこまで苦しいなら選挙に行かないよね?)

当のリベラル、左派でさえ、新自由主義によって思想を歪められて、チグハグなのがいっぱい。

 

ああ、まだ色々言語化できてない。