sozinkouのブログ

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選挙に行かないから云々

リベラル、左派の多くは、正しい事と実現するのが目的ではなく、正しい事を実現するための活動が快楽だからそれに従事しているに過ぎない。

リベラル、左派の反差別や多様性といった言葉はネトウヨの使う愛国心という言葉と似たような使われ方をしている。

両者は対になる存在。

これがボクのツイッターの観測結果。

 

さて本題。

みんなが選挙に行かないから云々というのは、みんなが選挙に行っていたら、みんなが自分で考えて政治に参加していたら、自公政権は負けて、自分たちの応援するリベラル、左派の政権ができていたって意味だろう。当たり前だけど。

 

この言葉って、リベラル・左派が自分たちの側に支持されない理由があることに向き合わずに、選挙の敗戦について責任転嫁し続けている事を示している。

もっと言えば、リベラル・左派が「社会の成員が正しく思考したら、自分たちと同じような答えになる」という全体主義的、独善的な考えを持っている事も示している。

リベラル・左派は、社会の認識、人間の認識、自己の認識を誤ったまま、責任転嫁と自己正当化のエコーチェンバーを起こし、社会との乖離が加速している。

結果として、例えば新自由主義というような、リベラル、左派の支持が失われる方向の価値観が社会に浸透するような方向に進んでいるにも関わらず、社会に対する適切で強い働きかけができなかった。

リベラル、左派の言葉が多数の人に届くような社会に戻るには、劇的な何かがない限り長い年月がかかるだろう。コロナはそのきっかけになるかと思ったが、逆の方向に進んでしまった。コロナ後遺症については可能性が残されている。今は社会全体がコロナという要因を除外して思考しているが……。ワクチン!とか免疫負債!とか典型。

ちなみに、みんなが選挙に行ったら、現状の社会の価値観を考えれば、新自由主義的な政党のがまだ勝てると思う。

 

蛇足。

野党がだらしないって言うのは、野党が先鋭化しすぎちゃって、もう自分の価値観と乖離し過ぎちゃって、積極的に政策を支持して投票する先にならないどころか、政権批判票の受け皿としての投票先にすらならないことを意味している。

 

投票の選択肢にならない順序

行き過ぎた保守に支持される政党

新自由主義の政党

行き過ぎたリベラル・左派に支持される政党

自公政権

 

つまり、自公政権よりさらに投票の選択肢にならない政党の有利になるような行動を敢えて取る→選挙に行かない、白票というのができる精一杯の政権批判なのだ。

にも関わらず、選挙に行かないからと攻撃される。

意味がわからない。

リベラル、左派は現実を正しく認識して欲しい。