sozinkouのブログ

取るに足らないナニカが素人考えを綴る場所

ジェンダーバイアス

理系の女子学生が少ないという今さらな話題をテレビで見かけた。

女性は理系科目が苦手というようなジェンダーバイアスが影響していることは確かだろうけど、じゃあ社会の条件を全く同一にしたら大学の理系学部の男女比は50:50に近づくのか?に関しては「わからない」が正解だと思っている。

 

私は男性で、理系が得意だったからなんとなく理系の学部に入学したけれど、「やっぱ人間を知ったり人間と関わったりすることの方がおもしろいわ」となって、結局は大学を辞めて福祉系を学び直した。

そういう意味では、理系と男性を結びつけるジェンダーバイアスというのは男性にも影響を与えている。

このような経験から、合理的論理的な理系的な探求に取り組むには学力だけではなく、モチベーション的なものも重要だろうと考えている。

そうなるとモチベーションの点で本当に性差はないのだろうかと思えてくる。仮に性差があるのにないように平等を求めれば、ボクのような間違った選択をする女性が男性以上に生じるかもしれないと思ってしまう。

 

そのモチベーションを考える上で、ここでは女性と男性でコミュ力の性質の違いに注目することにする。

このコミュ力の違いというのを雑に理系的とそれ以外に分ける。具体的には「目的を達成するための合理的論理的なコミュニケーション能力」の高低と「共感をベースとするコミュニケーション能力」の高低という二次元的に考えるとする。

そうするとこのコミュ力のマップの分布に男女差が生じているというのは現実の社会で現時点において観察されている事象と言えると思う。

ではその偏りの要因もまた社会のジェンダーバイアスなのだろうか。そういう側面自体は確かに存在するだろう。

そしてそれが100%に近くジェンダーバイアスの影響なのであれば、ジェンダーバイアスの問題に全体的に取り組めば理系の男女比は50:50に近づいていくのだろうし、そうではなく、人間の性差が何かしらの影響を及ぼしているのであれば、問題に取り組んでも男女比は前者よりも男性が高い状態で収束していくと思う。

前者の場合には是正というものに何も問題を感じないだろう。

しかし学力以外の性差(ボクは学力に性差があると思ってないのでー)があって、それが理系学問の男女比に影響を及ぼしているのであれば、50:50に近づける事への拘りは女性を不幸にする可能性があると思う。

或る女性が理系科目が得意というような理由に目がいきすぎて、理系の道を進むよりもっとその人に合った豊かな人生を送れる可能性というのを本人も周りも見逃してしまうことが増えるかもしれない。

いや、女性は理系の学問が苦手というようなジェンダーバイアスは正していけば良い。

それとは別に、個人の興味や承認に関する志向がミクロ(個人)かマクロ(社会)かというような軸でも成人後の社会生活におけるその人の適性が評価されるとかそういう事が必要に思われると言うこと。

その志向は、例えば小学生の運動会の作文で言えば、友達との話を書くか、クラスの話を書くかとかそういう風に表れていると思う。

さらに言えば、今は社会的な仕事の評価(主に収入)がマクロ側に偏っているものを、エッセンシャルワークなどミクロ側の必要性も正当に評価されるように是正すべきだろう。

そもそも社会でのマクロな男性の活躍こそが社会での活躍で、そういう場に女性が進出することこそが女性の社会での活躍だというようなエリート女性の偏った視点で男女平等を進め、エッセンシャルワークなどの評価を高めなかった事もまた女性の地位向上や生き辛さに繋がっていると思っている。

 

 

あと蛇足として、ジェンダーバイアスを押しつけられた!と言っている人たちというのは、それを主観的に押しつけと感じた人たちの集団で、それを押しつけと感じないどころかそれを積極的に取り込んでいる人というのもいるという視点は重要だと思ってる。

簡単な例として、女の子にかわいい、男の子にかっこいいというのはジェンダーバイアスだし、それを幼少期に押しつけと感じた人はいるだろう。

しかし女の子のマジョリティはかわいいと言われているアニメなどの登場人物と同一化しているからこそ「かわいい」という言葉を喜び、かわいいを追求していくのだろうし、男の子のマジョリティはかっこいいと言われているアニメなどの登場人物と同一化しているからこそ「かっこいい」という言葉を喜び、かっこいいを追求していくのだろう。

じゃあその根本となっている同一視は周りによる性役割の押しつけなのか、本人の選択なのかということ。

ちなみに、本人の選択として、それにかこつけて強化してはいけないジェンダーバイアスというのはあると思うし、押しつけと感じてなくても悪い呪いになっている可能性もあると思っている。もちろん解放すべきジェンダーバイアスというのもあると思っている。