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ある女性医師さんの誤謬

 

ある女性医師が「荒井総理秘書官の発言よりも許せない」ことは?(鎮目博道) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

確かに荒井総理秘書官ではない人間が同じ発言をしても同じように叩かれたと思います。その場合に関してはこの記事の言いたいことはわからないでもありません。

しかしやはり総理が「同性婚を認めると社会ガー」と発言をした直後に、オフレコの場でマスコミに対してあのようなことを言うことに対しては、あの発言を擁護する意図を感じますし、「秘書官室もみんな反対する」というような発言などは「お前らもそうだろ?邪魔するなよ」とマスコミを牽制しているようにすら思えます。さらにいえば、もうその牽制が効く社会ではなくなってるという認識すらできていないことをさらけ出しているわけです。

ちなみに、私も荒井総理秘書官が個人でこのような考えを持つだけなら、自分の可能性を狭める愚かしい行為だという価値観の持ち主です。

この社会において、差別主義者がしっかりとマイノリティであるなら、差別主義者が差別をすればするほど、自分にとって価値のある出会いとそこから広がる可能性を自ら捨て去っていると言うことですから。

しかし逆に言えば、被差別者、反差別主義者がマイノリティであるなら、或いは、権力が差別主義的なら、差別主義者が差別をすればするほど奪われるのは、被差別者の可能性です。そして被差別者の可能性が奪われれば、社会はその相互作用によって得られたはずのものを得られないと言うことであり、社会の可能性もまた奪われていると言うことになります。

従って、権力者や権力に近しいものがその自分の極小の価値観をもって、みんなの価値観、社会のあるべき価値観と誤謬して、そのようなメッセージ性を含むことを言う、社会を運営しようとするというのは、社会にとって有害であり、恐ろしい事でもあり、批判されて当然だと思います。

そこをこの女性医師さんが強く問題視しないのはこの問題を矮小化してしまう問題認識の誤謬だと思います。

繰り返しますけど、この女性医師さんの言いたいことはなんとなくわかります。その辺のLGBTQ+の反差別主義者の人たちより共感的に理解している方だと思います(ああ性転換して男性保育士を辞めて女性保育士として働きたかった。男性保育士になってこのままではボクはママになれないって気付いた。でもその過程の難度が高すぎてもう諦めた。人生も諦めた。疲れた)。ただその言いたいことを言うための題材としてこの問題は相応しくないと私は思います。いえ、言いたいことを言う題材として使うのはまだ理解できなくもないですが、その為に荒井総理秘書官の発言を個人の問題発言のように矮小化するのは差別問題に対してよくないと思います。