sozinkouのブログ

取るに足らないナニカが素人考えを綴る場所

インフルエンザ並という間違った前提

日本財団のこどもサポートプロジェクトとかいうもののCMを見ました。

ああいう理念であるなら学校でマスク着用する活動もやっていただきたいものです。

あああ、健康上の懸念で原則マスク不要の卒業式に出られなかった子も、換気をしっかり行った原則マスク着用の卒業式なら出られたかもしれないのにね。

一部の卒業式の思い出を優先……じゃなくて、一部の大人が自分の頭の中の卒業式の思い出に固執した結果、みんなが、より多くの児童が平等に出席できる卒業式というものも実現できたのに、それを放棄して、一部の子供から卒業式の思い出を奪ったんですよね。

子供を利用する為に子供という主語を使わないで頂きたい。

子供という主語を使うなら一部の子供を切り捨てないで頂きたい。

子供という主語を使うなら様々な子供がいることを深く考えて使いなさい。

 

さて、本題。

 

経済を回すのと元の生活を取り戻すのとマスクをするのは同時に行えるはずで、むしろマスクの有効性という科学的事実を踏まえれば、マスクを着用した方が経済を回したり、マスク以外の元の生活を取り戻したりするのに好都合のはずで、にも関わらずなぜマスクを外すのかというのを成立させる論理というのを推測すると「オミクロンはインフルエンザ並だから昔のインフルエンザと同等の対策でOK」って内閣がオミクロンを軽視してるとしか思えないんですよね。

 

そして、内閣がオミクロンは季節性インフルエンザ並という間違った前提の上で思考して、社会全体を間違った方向に社会を進めているのですから(間違った方向を前と思い込んでる人間が前に進める力!を持っているのは怖い)、下っ端組織の文科省も、1でも2でもなく、

3. コロナは季節性インフルエンザ並であるから、インフルエンザ並の対策でOK。インフルエンザ程度に流行して、学級閉鎖、学年閉鎖、学校閉鎖するのも許容範囲。

だと思うんですよね。

2の括弧内は文科省には見えてないのかもしれません。科学と名を冠する省ですし、まさか……とは思いますが。良心に従わずに上の方針に従うには科学的事実を見ないようにする方が良いことはありますからね。

 

しかし、内閣の周辺で2の括弧内を許容範囲としている人たち……というか、オミクロンの病原性や伝播性と季節性インフルエンザのそれを比較検討した上で、それでも季節性インフルエンザと同等のものとして扱えると包括した人たちはいるはずです。

ツイ主も社会のコンセンサスを取って下さいと書いてますから、文科省より上を想定しているのかもしれません。

 

私の考える文科省の論理はこう。

上の方針通りオミクロンの症状はインフルエンザ並である。

コロナも季節性インフルエンザの様に任意の予防接種を行っているので、児童に対してインフルエンザ並の感染予防対策はしっかりと取られている。

今までインフルエンザの流行時にマスクなどの対策は取られていなかったのだから、基本的にマスクなどの対策は不要。