sozinkouのブログ

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掌を返す最後のチャンス

オミクロンの初期。インフルエンザの死亡率が0.1%で、オミクロンの死亡率が0.2%だから、もうインフルエンザ並、ただの風邪という論が出たとき、インフルエンザの死者とオミクロンの死者の基準が違い、インフルエンザの方には超過死亡が含まれていた。

私はインフルエンザの死亡率が0.1%もあったのかとまずはウィズインフルエンザだったコロナ禍前の態度を反省した。少なくとも年間に1万人も死亡するのであれば減らす努力をするべきだと思った。

そしてインフルエンザの死亡率を調べて、実際には0.02%位だと知った。それでもマスクに効果があるというなら、もう過去には戻れないというのが私の感覚だ。

さて、インフルエンザの実際の死亡率と超過死亡率には5倍程度の開きがあった。それではオミクロンの死者はどのくらいでるのだろうかと考えた。2万人の5倍で超過死亡を含めれば10万人に行くかもしれないと考えた。

1万人でも減らす努力をするべきなのに10万人なんて……。それを訴えるべきだと思ったけれど、私のはものすごく単純でバカみたいな計算だ。まともな計算による超過死亡の推定を基にした「ただの風邪ではない論」を求めたけれど、ほとんど見られなかったし、広がることもなかった。そして残念ながら政治、行政、マスコミのレベルでコロナは軽視され、ウィズコロナという路へと突き進んだ。

マスコミが人命を重んじて政治や行政に対する批判機能を果たさなかったのはつくづく残念でならない。民主主義の根幹はマスコミの質なのだと改めて思う。

オミクロンの初期でも十分にオミクロンの脅威を認識できた。症状が軽くても感染する人が多ければ多くの人が亡くなるというのは考えればわかるし、インフルエンザとコロナの死亡率の基準が違うことも少し調べればわかることだ。その疑問が持てなかったというのはインフルエンザってこんなに人が死んでいたいのか……という気持ちを持てなかったと言うことでもある。

しかし人間というものの本質、例えばコロナの感染拡大防止対策への疲弊による影響や正常性バイアスなどを考えれば、社会が正しい判断を下せなかったことを理解できなくもない。

だが超過死亡の数字が実際の数字としてでてきた今は状況が違う。まだオミクロンの収束が見えず、オミクロンの脅威も十分に可視化されたこの期に及んで、ウィズコロナや脱マスクや脱黙食を語る人間が善良を装うことを許すつもりはないし、そのことは今後、ことある毎に指摘していかねばならないと思っている。

これからも善良な自分でいたいなら今が本当に掌を返す本当の本当に最後のチャンスだろう。今の社会の誤りは遠からず検証されるのだから。