自殺した理由がはっきりとわかってないのにさらっと記事に誹謗中傷とか書いちゃうのって報道が印象操作してる!って憤る場面なのでは?こういう時は鵜呑みなんだね。
自殺した理由がわかってないのに自殺した理由をあの人と結びつけてさも事実のように語るってそういうのを【物語的理解】というのでは?虐められてた人が自殺するというストーリーは確かに物語として辻褄は合っているけど、物語として辻褄が合っている=真実ではない。
リベラル、左派が敵視している人たちに【物語】がどうたらってレッテルを貼って上から目線で語ってたけど自分たちだってじゃん。
別に物語的な理解が悪いと言ってるんじゃないよ。その真実に沿って事実(自殺とあの人の関係)を追及しようというならわかるんだ。でも事実の追求をするより前に物語を真実のように理解して正義を執行する行動に出ちゃってるじゃん?冤罪が作られる構造と一緒だよ?
態度を保留すべき所と仮定に基づいて動くべき所と自分たちがいつも言ってることを自分たちの正義に酔わずにもうちょっときちんと考えて行動しようね。
陰謀論でも真実と信じるんじゃなく真実を追求して、真実でなかったら想像力豊かな自分に笑っちゃうという態度で語るなら良いと思ってる。
憶測で自殺の理由を語るのは自殺した人の尊厳を踏みにじる行為にもなりえるんだよ?死者というのはもう何も現世に対して出来ないのだから、慎重を期して、憶測で語らないというのがその尊厳を守る唯一の方法だと思うんだけど。せめて具体的な行動に移すのは、行動に移すべきと思われる遺書の内容が公開されてからにすべきなのでは?
そしてはっきりとしていない自殺の理由を決めつけて、個人攻撃のツイデモをするのってみんなで正義無罪の誹謗中傷しようって犬笛を吹いているのと変わらないのでは?犬笛、犬笛って自分たちも犬笛を吹きまくってるじゃん。
自分たちの考える自殺の理由は決めつけではなく真実だと現段階で思い込んで行動できるのが不思議でならない。自殺の理由を決めつけて間違った情報を流して謝罪したあの人といったい何が違うの?警察云々は間違いと証明されたけど、自殺に至る心情の憶測については物語のストーリーが違うだけだよ?現段階ではね。真実が明らかになるまで態度を保留して、その時のために力を蓄えておくってなぜできないの?遺族の意向によって真実が明かされないならそれはそれで諦めるしかないけどね。
リベラル、左派は本当にもうおかしくなっちゃってるね。想定外の選挙の敗北って人を闇堕ちさせてしまうのかな。
民主主義って人間の多数派に所属するという生存戦略や多数派に所属することによる社会に所属できている実感みたいのを刺激したり、強化したりしてしまうシステムなのかな。そして民主主義というシステムにネイティブな世代、民主主義というシステムにネイティブな世代に育てられた民主主義ネイティブ2世……と世代を追う毎に○○主義のエッセンスって蒸留されて濃くなってしまうのかな
とか思ってしまったり。