sozinkouのブログ

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野党支持者のマスコミ批判

立憲民主党共産党の支持者は、大阪の状況について、マスコミだ、吉本だって批難しますけど、マスコミでも吉本の芸人でも今、発言力を持っているのは、新自由主義的な思考土台を強化され続けた40、50代なんです。だから、そういう偏り方をしても不思議ではないんです。

同様に新自由主義的な価値観を強化され続けている、情報の受け手側もそういう言動を自然に受け取って不思議はないんです。

逆張りをしたり綺麗事を放棄したりしている新自由主義をベースとしたバイアスのかかった正論マシンな人たちはとりあえずほっておくとして、綺麗事と経済重視の人命軽視を平然と両立させているマスコミについては目を覚ましてほしいものだとは思います。

裏を返せば、立憲民主党共産党の言っている綺麗事はあくまで夢で現実的ではない、現実の問題を解決出来ないと思われていると言うことです。マスコミにも庶民にも。

そこを目を覚まさせるためには、リベラルのいう生きやすさというのを社会に実現していって、その実現の恩恵を受けた人が、さらに社会の中に実現していって、その恩恵を受けた人が~というループを生み出して、草の根の方から時間をかけて広げていくしか無いと思います。

 

以下、余談。

反差別運動をしてる人は「思っていても言っちゃいけない」と「思っちゃいけない」の区別を付けてください。自分たちの差別者への攻撃が、その区別が付いていないと感じる人間を恐怖させていることに気付いてください。

そして、反差別運動で人を救ってると思ったら大間違いです。被差別者のアイデンティティだけを肥大させて、社会には被差別者を差別無く受け入れる土壌はない。こんな中で生きるほど苦しい事って無いんです。アイデンティティを目覚めさせたなら、被差別者が自分らしく活き活き生きられる場所を作っていってください。全く足りていません。そこからこぼれたら本当に苦しいんです。

反差別運動をしている人の被差別者の定義は恣意的です。助けたくない人間を屁理屈を捏ねて、例えば自己責任論で切り捨てる新自由主義者と同じ事をあなたたちはやっています。

反差別運動をしている人は、自分が善良だというバイアスに囚われないでください。それがなければ、自分はどこかで何かの差別をしているという事に気づけるはずです。そしてその自分の中の差別心と戦ってください。そうすれば差別主義者が心の中に根付いた差別心から抜け出すには長い時間と共に戦ってくれる理解者が必要だとわかるはずです。

最後に。差別というのは、差別する側がマイノリティで社会的影響力がなければ、差別をする側が損をするだけです。差別すればするだけ自らの世界を広げる出会い、ひいて自らの可能性を放棄しているわけですから。