ハラスメントの軽重というのは、アイデンティティの毀損の程度で測るものだと思っています。
それが善意だろうとアイデンティティを強く毀損したのなら、それは重いハラスメントです。
逆に「ハラスメント!」って言ってても、それがアイデンティティに響いている様子がなくて、ただ自分が嫌なものを排除しようとしてるだけじゃん?というのもよく見ます。それはハラスメントには見えません。
むしろ「ハラスメント!」認定して、嫌なものを排除しようとする→自分の思い通りに社会をコントロールしようとすること自体がアイデンティティになっているように見えます。極論すれば、アイデンティティが毀損されたというより、アイデンティティを満たす「口実ができた!」という喜びが感じられます。
難しいのは、あるハラスメントによってどの位アイデンティティが毀損されるのかは、人によって大幅に異なるということです。
例えば、セクハラというのがなぜ女性の方が問題になって、男性の方が問題になりにくいかと言えば、それは性的な部分の性差によってアイデンティティの毀損の程度が異なるからという部分があると思います。
あるハラスメントによってアイデンティティが毀損される人を守るということは絶対に必要だと思いますが、その弱い人を基準にしてある行為全体をハラスメントとして社会から排除しようとするのはおかしいと思います。
AV新法だって自らの意志で誇りを持って仕事をされているAV女優さんのアイデンティティを毀損しているという点で最低限ハラスメントの側面を持つでしょうし、その人たちを守る為に法の改正は絶対に必要だと思います。
それが都合良くハラスメントを利用するのではなく、広く多様性を持ってハラスメントに対応するということです。
最後に。
なんでもハラスメントというならば、人生を新たにやり直しているときに「あなたこの仕事に向いてないよ」という或るババアから頂いたありがたい善意のアドバイスがそれから20年経った今でも私の心に大きなしこりとして残っていますので、そういう他人の都合や立場を考えず、空気も読めないババアの善意のハラスメントも社会から排除して、社会的制裁を加えていただきたいと存じます。