KADOKAWA、差別扇動的との批判相次ぐ書籍を刊行中止 「トランスジェンダーの安全人権を脅かしかねない」との意見書も(ねとらぼ) - Yahoo!ニュース
こんなことを言ったらトランスフォビアと言われるだろうけど、そんなことはどうでも良いので言うけど、
確かに多くのトランスジェンダー当事者はこの書籍のタイトルを見たら、「私のこの不一致感は伝染とかブームとかじゃない」と思う。
しかし同時にこの情報が溢れる社会で、自分の問題に対して誤った答えに飛びつくというのは、例えば反ワクチンや反マスク、陰謀論……といった具合に枚挙にいとまがない現象なわけで、それがトランスジェンダーにおいて全くないというわけはないんじゃない?そしてそれは特に肉体と心の性の性別適合においては取り返しが付かない。
もちろんトランスジェンダーの多くがSNSなんかに影響されただけの人たちというような印象操作は差別に繋がると思うよ。そんな人たちの為にトランスジェンダーの権利を安易に認めて良いのか!っていうね。
しかし影響された人を取り返しの付かない方に進む前に引き留めてあげるのまたトランスジェンダー界隈の人間の役割でしょう?だから反差別運動がSNSに影響されている人なんていないという逆の印象操作にならないように気をつけないとダメだと思う。
ボクは幼児教育における性アイデンティティの多様性というのをずっと考えてて、未だに全く答えが出ないんだけど、それはまあ唆しというのはあってはならないという前提があるからで、その自制心を持たない反トランスジェンダー差別主義者というのをボクは全く信用していない。
ま、そもそも反トランスジェンダー差別主義者って、狭量な価値観でトランスジェンダー当事者にトランスフォビアってレッテルを貼って、犬笛を吹いて、飼ってる犬をけしかけるような人たちがいっぱいいて、当事者でも関わっちゃいけない界隈なんだけど。自制心なんて求められるレベルではない。
蛇足
しかし実際アレでしょ?
「性別適合手術を受けたい」って受けた先輩に相談したら「それだけじゃ何も問題は解決しないよ?」とか人の気持ちに寄り添わないで上から目線でアドバイスしたりするんでしょ?
それとこの書籍のタイトルの視線と何が違うの?あのときボクは滅茶苦茶傷ついたよ。トランスジェンダー界隈とは距離を取るようになったけど、これはその大きな理由の一つ。
もう1つの大きな理由は、反トランスジェンダー差別主義者で声の大きい勢力の一つが、性別適合手術という当事者のニーズを「社会がそうだからそうせざるを得ない」という歪んだ理解をする連中だってこと。
自分たちがそうだから、みんなそうだ!というまさに差別の構図。
反トランスジェンダー差別主義者はトランスジェンダーを差別しないでね。
人間の性別を何で決定するか、その役割はどういうものか(役割なんてないのか)というのはまさに一人一人の考えが大切にされるべき「アイデンティティ」だよ?
言い換えれば、絶対的に正しい答えなんてないし、自分の考えを他者に押しつけられるものでもない。アイデンティティが未熟なものもいるから情報や価値観の取扱だって慎重を要する。
もちろん絶対的正しい答えなんてないのに、あるように設計されている社会制度というのもある。
逆にいえば今の反トランスジェンダー差別主義者が自分たちの答えを絶対的に正しい答えとして社会制度を作ろうとしているならそれは同じ事だと言えるので、それを自覚してね?まあ無理だよね。そういう人たちだから。
他にも細々と色々あるけど、とにかく反トランスジェンダー差別主義者は決して関わりたくない。彼らはトランスジェンダー当事者の多数派すら幸せにできない。しかし声を上げないとヤバいからこうやって声を上げてるわけ。ニーメラーの警句に従って。
これに反差別活動ってそういうの多いけど。夫婦別姓みたいのでも先鋭化した人たちは、夫婦別姓を当然の権利として考えている『姓に絆を感じる』(主に改姓の当事者である)女性たちをその言論で貶めて切り捨てているよね。
枚挙にいとまがない。