sozinkouのブログ

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経済という歪んだバイアス

自身の偏り、認知の歪みを認識できず、大切なこと重要なことを前提に内包することをせずに、自身の都合の良いバランスの書いた経済優先の結論に執着することのなにが客観的、論理的、合理的というのでしょうか?

経済というものを念頭に物事を考えられるのは客観的でも論理的でも合理的でもありません。もちろん社会というものを考える上で経済というのは重要なファクターでしょうが、経済重視というのは一つの主観的、感情的に選んだ価値観、思考のベースに過ぎません。そのような立場で考えること自体も取り立てて優れた事でもありません。

そもそも経済を重視して客観的に物事を考える自分という自己像に陶酔したり、自己像の承認を他者に求めたり、どちらにせよ動機の部分では、主観的で感情的で、命や健康の大事さを求めるのと同等の行為に過ぎません。経済を重視することが自分の利益に繋がる人は言わずもがなです。

もっと言えば、命や健康の大事さという生命の根幹の主観や感情より、心の充足、それ以外の金銭等の利益等を求めるという行為は、自分の命や健康は損なわれない(言い換えれば、犠牲になるのは他人の命や健康)という確信があるからこそ出来る行為だと思います。そういう人たちが命や健康の保証の為に金銭等の利益を求める人を利用して自分の利益(自説)に誘導するのは卑劣な行為だと思いますし、そういう人たちが自己責任という概念を利用して他人の得るべき権利を削って自分の利益を確保するのも卑劣な行為だと思います。

(もちろん命や健康より心が大切な人も、自分の命や健康より社会経済を回す方が大事という自己犠牲精神に溢れた人も中にはいるのでしょう)