街の滅亡の真実が隕石の空中爆発で、その爆風が南西から北西の方角なら、その隕石の欠片やなにやがもうちょっと先の北西のどこかに落ちて、鉄器制作のインスピレーションになったんじゃね?みたいな妄想をした。
(理系且つ大学のセンターは日本史だったので世界史は本当に全く知らない)
視聴した後ググってみて、そういえばこれギガジンで読んだやつだったわーって思い出した。
街の滅亡の真実が隕石の空中爆発で、その爆風が南西から北西の方角なら、その隕石の欠片やなにやがもうちょっと先の北西のどこかに落ちて、鉄器制作のインスピレーションになったんじゃね?みたいな妄想をした。
(理系且つ大学のセンターは日本史だったので世界史は本当に全く知らない)
視聴した後ググってみて、そういえばこれギガジンで読んだやつだったわーって思い出した。
うーん。どれもおもんない。
— Rhon 💉PPMMMMP (@Rhon02468) 2024年4月10日
感染対策ガチ勢は、自分のウイルス曝露量を減らしたいのはもちろんのこと、社会が正常に回ることを望み、かつ、このままでは社会がたちゆかなくなることを憂慮している。そこが通じてない。この場合の「正常」はもちろん「2019年以前の状態」では決してない。 https://t.co/NTiA5LSvn7 pic.twitter.com/KyBf1bF33f
ボクは脱マスクの立場じゃないからこういうの考えるの難しいね。このネタバレの前提を踏まえれば、
「お前等(ユニバーサルマスク、感染対策)の達成に必要なパラダイムシフトを社会は選択しなかったしこれからも選択しないよ?俺たちも「正常」を2019年以前の状態なんて決して思ってない。お前等の考えとは逆の方にパラダイムシフトする社会を正常化と言ってるんだよ」
って所かな。
いくら公衆衛生が崩壊したとは言え致死率50%とも言われる高病原性鳥インフルエンザがヒトヒト感染し出したら国もマスコミの国民も一気に厳戒モードになると思うんだけど、「コロナ明け」の今の状況見てると「所詮インフルでしょ」とか言い出してみんなの警戒を折る人が出てきそうな気がする…。 https://t.co/CbgcaUpxYp
— ざらめ煎 (@zarame_senbee) 2024年4月10日
致死率50%ならみんな騒ぐでしょ。それは他人事じゃないもん。じゃあ他人事ってどのレベルなのかというのが浮き彫りになったのがポストコロナ禍。あと感染力も大事なファクター。
インフルの死亡率0.1%を1%と偽って、コロナの感染者数と死亡率2%をインフル並として、現にそのように死亡者が増加しても、それを社会は受け入れてるわけで。まあでもそれも死亡者の大多数が高齢者という要素も含むから、若い人がもっと死んでいたら社会の反応はきっと違うのだろう。しかしコロナ後遺症は若い人もなっているはずなんだけど……。
じゃあどの位になれば、個人はそれが自分の周りの現実の出来事で脅威だと認識し、自分や自分の大切な人を守る為の行動を始め、政治や行政に対策を求め、社会での十分な感染拡大防止ができるんだろうね……という。
死亡者が高齢者が多数という状況ならコロナと同等以上の死亡率2%以上というのは確実だろうけど、それでもさすがに10%は許容されないと思う……。
まあでもさあ、90代とかで闘病を頑張りつつ生きてくれてた身内の高齢者さんがコロナ感染後の何ヶ月後かに亡くなったとして、それで生じる気持ちというのはコロナ云々ではなく「お疲れ様」なんだよねえ。そしてそこには「コロナの感染対策」によって共有できたはずの時間が失われた……って無念な気持ちもあったりする。
だからコロナを野放しにして良いとは全く思わないけど、「コロナの感染対策!」の人たちはそういう気持ちへの共感が足りないと思っている。
一方で「経済!」「日常を取り戻す!」「脱マスク!」などの人たちは、そういう「お疲れ様」という高齢者の死を受容する普通な気持ちを悪用していると思っている。
これなら、意見は違うが整合性はとれてるんですよ。https://t.co/OHQkKNQY7s
— snow (@snow_gray_) 2024年4月7日
旧世代の主流国際政治学者の論は、実現性はともかく論理的整合性はとれていました。だから論。しかし現役世代の主流国際政治学者とやらの論は「論外」。
私が素人すぎて理解できないの?(にしては旧世代に批判されとる)
それは公平な秩序ではなくアメリカ基準の偏った秩序だからですよ。その鶴岡さんの主張はこう書きかえれば完璧に整合性がとれる。
— snow (@snow_gray_) 2024年2月19日
「日本こそ、アメリカ主導の国際秩序がないと困る国なのです。アメリカのルールに基づく国際秩序があって初めて、安全と平和と繁栄を享受できる。」
このような在り方を良しとするなら整合性は取れてるので意見が違いますねで済むんですけど、「ある日狂ったプーチンが領土的野心で罪もないウクライナに侵略してきた」という見解を掲げていた人たちは、結局ずっと整合性の無いことを言い続けるしかなくなっているように見え。https://t.co/OHQkKNQY7s
— snow (@snow_gray_) 2024年2月19日
この人の考え方はおもしろいなーと思ってたまに思いだしたときに見てる。
で、この辺を読んで思ったのは、旧世代の主流国際政治学者と現役世代の主流国際政治学者って国際政治学者の概念が変わったんじゃね?ということ。
旧世代の主流国際政治学者というの俯瞰した立場から国際政治を見ていたのに対し、現役世代の主流国際学者というのは日本の立場から日本の国益に適うように国際政治を見ている。
現役世代がこのような立場なら歴史的な一貫性というのは不要だろう。、プーチンの行動を歴史書に記述されるような見方で日本社会に提示するのは国益に適わず、プーチン=悪とするようなナラティブこそ適していると考えれば、そうするのではないだろうか。
ちなみに、一流なのは歴史書に記述されるような分析もできていて偽りの物語を社会に提示しており、二流なのはアメリカ基準の偏った秩序のフレームでしか事象を理解できずに自分の考えを社会に提示している。
前者なんかは、官僚的な学者とでも言うのだろうか。こういう人たちは例えばコロナ対策でも多かったように思う。それらは歴史書に正解として載るような対策ではなく、資本主義+民主主義の限界などを語る素材になるだろう。ここにも似たような旧世代と現役世代の違いが見られたらおもしろいと思うがどうだろうか。わからない。ただ色々な場面でその違いが表れているような気がしないでもないし、ボクが「みんなが選挙に行っても変わらない」と思っているのは、「庶民という立場、バイアスから脱却して、行政寄りな目線で物事を見られること=客観的に物事が見られて頭が良い」みたいな現役世代の存在が多いように感じているからかもしれない。
実際にはその立場から脱却して客観的ぶることができるのは自分に影響が及ばない場合に限られていて、自分に影響が及ぶ場合は主観的なお気持ち表明をするし、そもそもその客観性とやらも実際には上から目線なバイアスがかかっていて全く客観的なものではないが。
あとプーチン=悪というナラティブは、北朝鮮=悪(日本=平和ボケでアメリカに守ってもらわないと困る弱い国)と一緒だし、日本に直結してるのは北朝鮮=悪の方だし、そっちで語るべきだと思ってる。こっちはまさに当事者だからより困難な言論の道になるが。
言葉を文字通りに取るような個性の持ち主だと「女性は理系に向いてない」という直接的な言葉で影響を受ける可能性はあるんだよね。
まーでもそれは一握りとしても、「女性は理系に向いてない」という価値観に影響された教師や保護者の態度や教育姿勢だとか、そういう価値観に影響された教師や親の態度や教育姿勢の影響を受けた周りの女子の影響だとか、ちょっと理系科目に躓いたことから「やっぱそうなのかな……」なんて予言を自己成就させちゃったりだとか……そういう間接的な影響というのはまあまあ強いと思うんだよね。50:50になるとは思わないけどさ。
だからその間接的な影響の補正としてのアファーマティブアクション的な取り組みというのはアリだと思ってる。
逆に言えば、今までの、そしてこれからしばらくの理系の男性というのは女性差別によって競争を免除されて過分な地位を得ていた人が多いということで、それに心のどこかで気付いていながら向き合えないのがアファーマティブ・アクションに対する拒絶反応として表れていると思うんだよね。まーそういう自分の受益には全く気付かずに「女性差別反対!」とか言ってる理系男子も相当痛々しいと思ってるけどね。
一方でそういうアファーマティブ・アクションがあるなら保育士の男性優遇というのもあって良いはずだよね。「男性は子育ての主の役割ではない。女性が子育ての主役である」「男性は稼がなくてはならない」というような社会の性別差別な価値観によって保育士を目指さなかった(目指せなかった)男性だっていると思うんだ。まあボクのことなんだけどね。
で、ボクは理系科目がそれなりに得意で、立命館や同志社の理系学部に現役で合格したんだけど、入学してから「あー、これボクのやりたいことじゃなかったわ」って気付いて、辞めてから短大に入り直したりしていて、そういう遠回りを誰にも(男性にも女性にも)させたくないんだよね。
だから女子が理系科目が得意だからってそれに引っ張られてその子の個性を見誤らないでねというのも言っておきたい。
短大じゃなくて保育士試験でいいじゃん?保育士試験の学科は1ヶ月の勉強とかで合格点取れましたよ。でも実技がね……(ピアノとか習ってなかったのも性別のバイアスもあると思うんだ?思わない?)。まあ遠回りしたけど、1ヶ月の勉強程度の知識ではなくて、通信制の短大で少しはちゃんと学んでもう少しまともな知識を得られて良かったと思ってるけどね。
SNSや過剰なジェンダー教育がトランスジェンダーを生んでいる……なんてそんなわけがない!→焚書
言論統制大好きだけど多様性!な人たちってだーれだ?
同性愛やトランスジェンダーがアイデンティティのようにロリコンというのもアイデンティティだと思う。
ロリコンの性愛の対象というのはロリコン漫画を読んだ影響ではなくてもっと本能的な興奮だろう。だから自分が魅力を感じる女性の年齢が自分の年齢に応じて変化することなく、周りと違ってきたときに気付くんじゃね?と考える。
ということは、ロリコン漫画というのはロリコンを生むものではなくて、ロリコンの性的欲望を満たすものということになる。
性的欲望を満たすことによる性的欲望の解消ツール。この考え方が認められずに、逆にその表現の影響による犯罪を理由に表現を規制するなら、次はAVが規制対象になりそうに感じる。ミステリー漫画・小説だって危なそう。そんなこと言ってないと言うだろうが、そうしかねないというのがボクのリベラル、左派の人間性に関する評価だ。
だからニーメラーの警句に従って声をあげている。
まあ全く影響を受ける人がいないとはいわないが、そこからさらに犯罪にまで走る人となるとかなり少数だろう。ロリコンはその性的表現から影響を受けるよりも強く、「行為をすれば人生が終わる、下手をすれば漫画や文章などで表現をしても人生が終わる」みたいに社会から抑制的な影響を受けていると思う。そこに「パーソナルな場での被害者のいない二次元の表現の享受すら人生が終わる」というものが加わっても、性表現が性欲を解消するメリットを上回らないと思う。自分がAVがない世界で生きていたら……という想像からそう思うだけで根拠はない。
そういう考え方だから、ボクはSNSの影響によるトランスジェンダーブームの被害というのには否定的な部分がある。もちろんそういう人たちもいるにはいるだろうけど、そういう人たちに焦点を当てることによって、アイデンティティが確立されたトランスジェンダーの存在を過小評価したり印象操作したりすることは差別だろうし、その差別性自体を具体的に指摘することには全く問題を感じない。
一方で、そういう人たちがいるなら、それを救うのはむしろ性自認というものに人より向き合っているトランスジェンダーだと思っている。意図せずとも決して唆すような事があってはならないと思っている。
そもそも声の大きいトランスジェンダーの主張は「性別適合手術は整形手術。個のトランスジェンダーの好みによって行うのは良いが、自分の心の性でありのままに生きられない社会のせいで性別適合手術をさせられることがあってはならない」みたいな感じだろう。
それなら性別適合手術をして後悔する少女がいるという指摘に対して、「SNSやジェンダー教育の影響によって性別適合手術を受けたのではない。心の性でありのままに生きられない不寛容な社会でなければ、その少女らは性別適合手術を受けなかっただろう」みたいな文脈で批判したらいいだろう。
もちろん本の内容にも拠るけど、本の出版や販売を許さないというのは「本の内容にも拠る」という確認行為すら妨害する暴挙だと思っている。
だからトランスジェンダーになりたい少女たちの焚書にもNOだ。
さて、トランスジェンダーとSNSとの関係には否定的だけど、ジェンダー教育とは関わっていると思う。そもそも性別に関する違和感が肉体に対するものだけではなく、社会の性別規範とも結びついているのだから、ジェンダー教育が関係していないわけがない。
トランスジェンダーは社会における広範な性別の表現と結びついている。根本の性自認の部分の部分は十分に本能的としても、当人が性別の表現、性別の役割をどこまで肯定、否定するかによってトランスジェンダーの有り様というのはかなり異なってくる。
ボクはそもそも性別という概念がしっかりと確立されていない幼児教育においてどのように性別を扱うのが良いのだろうかと考えているけど、少なくとも性別の壁に対して破壊的な今の声の大きいトランスジェンダーの価値観をジェンダー教育に取り入れるのは危険だと思っている。だから声の大きいトランスジェンダーの思想が子供に伝わっていることの子供への影響に対してもネガティブな印象を持っている。
これについて書くと長くなりすぎるだろうし、そもそもまだ纏まってないのでここでは書かない。
トランスというのは超越するという意味があるそうだが、声の大きいトランスジェンダーというのは自身が性別をトランスするのではなく、そのトランスする境界自体を破壊しようとしている。それは「トランス」ジェンダーではないと思う。
もちろん境界自体を問い直して曖昧にすべき部分というのはあると思う。例えばスカートを穿きたい男の子の心の性を見つめるなら、スカートという境界は曖昧だった方がいいと思ってる。だけど性別の境界自体を破壊して、そこに残る性別アイデンティティってなんなのだろう。それは無性別主義者だけが幸せな世界とかになるんじゃないだろうか。
最後に。
ボクはトランスジェンダーで、トランスジェンダーもののエロ同人作品というのもたまに見るけど、それらトランスジェンダー作品の影響を受けてトランスジェンダーになったわけではなく、トランスジェンダーとしての欲求を満たすために満たせる作品を探して見ているに過ぎない。
今ほどトランスジェンダーもののエロ同人作品がなかった時代は、AVの女性の方に感情移入してAVを見ていた。というか今でもトランスジェンダーの同人作品よりもそういうAVの見方をして満たすことの方が多い。AV女優さんと呼吸音を合わせるのが一体感を感じるポ・イ・ン・ト!話が逸れた。何が言いたいかというと、ある表現がなくても全然代用できるということだ。
ロリコンだって一緒だろう?わかんないけど。だから低身長貧乳のAV女優さんのAVを規制するって?
最後に2。
ボクは性別を何によって判断するかという基準はその人の重大なアイデンティティの1つであり、今の声の大きいトランスジェンダーというのはそのアイデンティティを毀損していると思う。
最後に3。
リベラル、左派は、表現の自由戦士というレッテル貼りをして、自分たちの表現規制に対する懸念の声の一部を拡大して一部を隠蔽して矮小化し、自分たちの表現規制は正当なものだと自己正当化している。
最後に4。
性同一性障害が病気かどうかなんてどうでもいいんだよね。ただ病気じゃないとされて性別適合手術の健康保険適用ができなくなれば、その選択肢を取るのが難しくなる人もいるって問題を解決して?って話。性別適合手術を必要としないトランスジェンダーの「病気じゃない!」「個性だ!」ってアイデンティティを満たす為に救われない当事者を増やす言葉遊びって意味はあるん?社会を変えれば性別適合手術のニーズはなくなる(性別適合手術の健康保険適用がなくても大丈夫、大丈夫)みたいな偏見はやめてくれる?
そしてヤクザとの遭遇率と新型コロナウイルスとの遭遇率を比較すれば、絶対的圧倒的に後者のほうが高い。いまや外出して電車に乗ったり買い物にいったりしたら、新型コロナウイルスの存在する空間に身を置くことになるのは必然といっていい。新型コロナウイルスとの遭遇率はいわば100%では?
— Rhon 💉PPMMMMP (@Rhon02468) 2024年4月4日
おもしろいとは思うけど、比較するなら、ヤクザや半グレに「因縁を付けられる」率と新型コロナウイルスによる「死亡、後遺症」遭遇率を比較しなければならないと思うんだよね。
で、その率の主観的な評価というのは、身近で起こったかというのも重要なファクターのわけで、少なくともボクの場合は「コロナ死者、コロナ後遺症者<ヤクザに遭遇して怖い目にあった」なんだよね。
そしてX上にはコロナ後遺症者もたくさんいるわけだけれど、普通の人はフォローや目にするアカウントの総数に対して、その遭遇率は低い。まあヤクザはいないけど、他人に絡んでいるヤバいのはいっぱい見かける。
まあだからヤクザとコロナのリスクの比較というのは響かないレトリックかなあという印象。
ヒグマによる被害との遭遇率は確かに極めて低いと思うわ。本州では身近を含めてね。それに対しては何度も書いているけど「身元のわかる犠牲者効果」というのがあるわけ。コロナのリスクというのは可視化(言語による可視化ではなく、現実の被害者が被害を語るニュースとしての可視化)が全く足りてないんだと思う。
ところで、能登の住民が支援を断るのが独特の文化みたいな話もされてますけど、高齢者福祉とかホームレス支援ではよく聞く話ですよね。
— snow (@snow_gray_) 2024年4月2日
そこできちんと話を聞き当事者も納得する形で支援に繋げるのが現場で尊敬されるベテランの技みたいに言われてません?
私も独特の文化ではなくてよく聞く話だと思います。しかしその類似性を指摘するだけでは足りないと思います。
その支援を断る「きのどくな」「申し訳ない」等の心理というのは今の社会を生きる人としてまあ自然な考え方だと思います。その土台となる自立、自律やギブアンドテイク……それは人間本来が持っている心理とも大きく矛盾しないと思います。
そして、社会、人間心理に基づいたその考え方を否定せずに共感しつつ「困ったときには国やボランティアなどの支援を受ける」という選択ができる社会環境を用意するというのがまともな福祉を提供の在り方だと思うんですよ。ベテランの技などに頼らずに済むね。
でもね、今の社会はそれと逆行して、その社会、人間心理に基づいたその考え方を増幅させて、「困ったときは自分でなんとかする」みたいな福祉の削減の方に社会環境は整備されていってるわけですよ。
ここをどうにかしないと本当に社会は酷い方向に進むばかりだと思います。
コロナの感染予防対策で社会がアップデートされてパラダイムシフトが起こるかと思っていたけど、まさか弱者切り捨ての開き直りの方でパラダイムシフトが起こるとは思ってなかったわ。
今って大戦後で最も人が語る綺麗事と人の実際の行動が乖離してるんじゃないかな。と言うことは子供の「大人は汚い!」のギャップもさらに激しくなってるね?可哀想。
こんな社会で子供に綺麗事を教えて良いのだろうか。本音と同じ行動を取れる綺麗なナラティブをひねり出す技術でも教えてあげた方が良いんじゃなかろうか。
最後に。
当事者も納得する形で支援に繋げる……みたいのは声高なリベラル、左派が最も苦手とする分野だね。
一方で現場を支えてるだろう新自由主義者ではない保守やサイレントリベラルの人たちはそれをすることが可能だろう。
こういう社会派リベラル、左派と市井のマジョリティの人間性の違い、ギャップというのも、市井の反政権票の受け皿の不在に繋がっていると思ってる(声高なリベラル、左派が支持する政党は受け皿にならない)。