恐怖は予感みたいな言葉が京極夏彦さんの小説にあったんだよね。
で、コロナ対策を放棄している人はコロナと向き合う事を止めて、恐怖という感情に委せてコロナを見てみない振りをしていると言っている人を見て、そういう風にモノ見るなら、その恐怖を引き起こす【予感】にも焦点を当てた方が良いんじゃね?と思ったわけです。
恐怖は予感というのは、例えば薄暗い閉鎖された幽霊が出ると言う噂のあるビルに入って、懐中電灯の灯りのみの暗闇の中で、扉を開ける事を想像したらわかると思うけど、その扉を開ける恐怖というのは、目の前にグリズリーがいるみたいな具体的な対象への恐怖ではなくて、扉を開けた先で何か起こる予感という抽象的な自らの想像に対する恐怖なんだよね。
それをコロナに当てはめた場合、コロナ感染対策ガチ派のもっている恐怖(コロナ感染対策ガチ派だって感情で動いている。そのアウトプットが科学や論理だとしても)というのは、コロナという病気に対する直接的、具体的な恐怖だと思う。
そしてコロナ感染対策が緩みまくってる今のマジョリティがもっている恐怖というのは、コロナという病気に対する恐怖で、それを見て見ぬ振りをしているという論には、何か違和感を覚える。やっぱコロナという病気をきちんと認識できていたらクマに出会ったような直接的な恐怖を覚えると思うし、それなら身を守る対応をするんじゃないかな。
だからマジョリティが持っている恐怖というのはもっと別物だと思う。例えば、コロナ対策をガチると、経済が回らない、国家財政が破綻してしまうというような【予感】からの恐怖。
こういう種類の恐怖というのはコロナ禍初期からある。例えば財政とPCR検査抑制論。ちなみに小さい政府指向のPCR検査抑制論者が市民に蔓延ってるそういう思考の土台を認識、利用して、市民はPCR検査抑制を受容されるように操作されたと思ってる。
あ、もっと言えば、コロナ対策に限らず、経済が回らない、国家財政が破綻するという市民の【予感】から生じる恐怖を避ける為の感情的行動とその【予感】を刺激して恐怖を煽る事による市民の操作というのは、今の社会や政治の方向付けに大きな影響を与えていると思ってる(陰謀論)。そして、リベラル、左派は、市民にその【予感】が蔓延る前にその予感が広まらないように対処すべきだったね……でも、どうあがいても無理で資本主義が行き詰まった社会の必然だったのかも……とか思ってる。
話が逸れた。ここからがこの記事の大切なところ。財政とかそういうのではないもっと生活と密着した恐怖への【予感】というものもたくさんあると思う。
例えば、コロナ感染対策ガチ派は馬鹿にするけど、マスクで表情が見えなかった、見せられなかったとかそういうのがトラウマになってる人はそこそこいると思うし、他にもコロナ禍において看取りがままならずに心にキズを抱えてしまった人というのも大勢いると思う。もっと色々とあると思うけど実体験で想像するしかないんだ。想像力が貧困でごめん。
そういう人たちというのはコロナ禍のそういう体験が繰り返される【予感】に恐怖してしまうと思う。
そして感染対策ガチ派の人たちというのは、そういうコロナ禍の辛い体験が繰り返される【予感】というものに対する共感性というのが極めて乏しいと思う。
そういう後者の人たちに向けてなのかコロナ感染対策ガチ派は行動制限は不必要とか色々言ってるのも見るけど、そういう恐怖の予感を持つ人たちというのは本気で感染者や死亡者を減らそうと取り組んだら行動制限のような対応が必要な場合があるとわかってる・予感してるんだと思うよ。ボクはあれには市民の説得を諦めて楽に流れた安全神話と似た構造に感じてる。
資本主義(あるいは新自由主義的価値観)によって方向付けられた【予感】で動く民主主義社会というのは社会学とか心理学のテーマにできると思ってるけど、残念ながらボクには才能がないから全く確かではない。自分でやろうにもお金もない。
あれだけ言われても気候変動による【破滅の予感】とかは持ってなさそうとかがヒントだよね、たぶん。明けてない偽りのコロナ明けが齎す未来の【予感】を持ってなさそうとかもそうだけど。
最後に。
あらゆる場面で感情抜きで動く人というのをボクは知らない。
科学的、合理的・論理的行動を正しい行動だと思って選り好みするというのも感情だと思うよ。別に科学的、合理的・論理的行動を取るって絶対的な真実じゃないじゃん。ある社会においてその社会を持続させるのに最適な行動に過ぎない。それって全体主義的に見れば正解でも、個はそのある社会を存続させるために存在してるわけでもないし。多様性を持った個がそんな都合良くそのある社会を存続させるための行動を選択するわけないし。
蛇足
似たような例として、ボクは憲法9条改憲反対派を平和ボケと呼ぶ人たちよりも戦争の痛みを避けようとしない人たちの方が平和ボケだと思ってる。その痛みを知らないからこそ突っ走れてしまうんだよね。その痛みの被害者にならないことがわかっててそういうコトをやってる人たちはクズだと思う。
別に9条改憲には反対してないよ。公共の福祉→公益及び公の秩序には強い拒否感を覚えてるけど。権力は誰が持とうが信用しないので。