sozinkouのブログ

取るに足らないナニカが素人考えを綴る場所

若者の石丸伸二支持

今回の都知事選挙
若者の石丸伸二への投票について色々言っている人たちがいるけど、もう少しだけ俯瞰して社会を見て考えてみ?
わからない?じゃあ
「タイパ重視とかそういう価値観の世代はどの候補に魅力を感じるでしょうか」
タイパとか生産性による自己評価とかそういう事によって間接的に社会の中で思考のフレームとなっている価値観というのはある程度観測、認識可能なんだよね。
リベラル、左派ってなぜそういう風に社会を観測しようとしないの?そして社会が自分の理想から離れていっていることに危機感を持たないの?
タイパという表面に囚われてタイパに対して物申してるんじゃダメなんだよね(あ、タイパという価値観に共感しちゃったらもっとダメだよ?)。
それはあるフレームを持って思考すれば辿り着く必然的な正しい結論でもあるから。
だから、タイパのような現象からそのフレームの部分を認識して、社会に対する危機感を抱いたなら、そのフレームを揺るがせて疑問を持たせるようなことをしなくちゃいけない。それが無理なら、対象が人生の壁にぶつかるとかそういう何かの時に芽吹く種となる言葉やナラティブを蒔いておかなきゃいけない。
そういう事もやってないのに、投票自体を批判したところで理解してもらえないんだよ?あるフレームで思考したときにはそれは正しい判断なんだから。

あと関係ないけど、高齢者が石丸の当選を阻んだなら、それは高齢者の良識が若者の浅慮で社会が動くことに対して踏みとどまらせたと考えりゃ良いんだよ。高齢者がいて良かったねという話。
大阪都構想もそうだったよ?
問題は団塊ジュニア世代とその悪い影響を受けたアラフォーという良識の欠けた老害が今後民主主義の票田として実権を握りかねないところ……。

蛇足だけど、これは若い世代に限らないけど、社会に浸透している自己責任論だって、それって自分に返ってくるよ?というのは十分可能性のある話だけど、それ自体を説いたところで伝わることはないんだよね。
だって、自立・自律して人の手助けを借りずに日常の活動を送り続けたいって気持ちは誰でも持ってるじゃん。そういう気持ちを利用して、それをモラル化したり、義務化したりして、自分の生き方の話からみんなのあるべき姿の話にしているのが自己責任論だから。
そういう風に考えたら、日本の財政はヤバいから何か切り捨てなきゃという切り捨てていい理由探し狂騒曲はもちろん自己責任論に繋がっているんだけど、もっと身近で繰り返されている「迷惑をかけたくない」「ずっと健康で……」「ピンピンコロリ」みたいな保険やサプリの広告だって自己責任論に繋がっている。
でもさ、それをどうするかと言ったら難しいんだよね。それって人の普通の願いに根ざしているものでもあるから。
迷惑をかけていいんだよといってる人たちの中にどれだけ「迷惑をかけている自分という自己像を思い浮かべて、その自分を肯定できている人がいるんだろうという、ね。
結局は、自分の価値観を「他人に押しつけない」「他人を切り捨てて良い理由にしない」という問題にするしかないと思うんだけどね。
そもそもボクは自己責任って「自分には理解しがたいけど、他者がその結果に責任を負うなら他者がそれをするのを止めない」という他者の価値観による行動とその結果を尊重する概念で、そこには見捨てて良いみたいなものは全く含まれていないと思ってる。というか他者の価値観を尊重するなら、命なども尊重すべきで、助けない選択肢はないと思っている。助ける選択肢をとった上で「結果を尊重する」ということ。