sozinkouのブログ

取るに足らないナニカが素人考えを綴る場所

SNS(兵庫県知事選挙)

Xのポストより

 

これはXとTikTokをやっている年齢層の違いが表れているだけでは?疑似相関的なやつ。若い人が投票に行ったら、石丸が2位になったようにさいとう前知事が勝つかもねというのはみんな思ってたでしょ?

タイパとかを好む新自由主義財政再建(切り捨てて良いところ探し、切り捨てて良い理由探し)ネイティブ世代のマジョリティどういう価値観を好むのかってわかりそうなものだけど。

 

リベラル、左派の概念を共感的に理解できる次世代の育成に失敗しちゃったんだよ。

しかし、今、大声で喚いているリベラル、左派自体がリベラル、左派の概念を共感的に理解できていないんだからしかたないよね。

そういう人たちにとって、人権や弱者や多様性という【言葉】は、気に入らない人間に言論の暴力を振るったり、自分スゴイと優越感に浸ったりする道具なんだもん。そして普通の欲やエゴを持っている人間が殴られるんだもん。

 

 

 

SNSの政治絡みで対話をしようって人はあまりいないでしょ。対話とは異なる目的やモチベを持って投稿しているんだから、そりゃ根本的に異なるものでしょうよと。

他罰的で自己批判できないリベラル、左派的な言動をしている人が多い現実は、リベラル、左派でさえ自分自身と向き合って【自分の思考について思考する】ということをしたことがない人が多いんじゃないかな。自分に都合が良い論(権威)を信奉しているだけでね。

自分の思考と向き合ったら、自分の理想だけではなく、自分の感情、自分のエゴ、自分の経験や知識と自分の思考の土台(バイアスにもなる)にも向き合うことになる。そういうものに向き合ったように感じられるリベラルなんてほとんどいない。

そんな人たちに議論なんてものはできないでしょう?

何度でも言う。

【リベラルは掲げる本人も痛みを感じる思想】

だとボクは思ってる。

 

そもそもSNSの政治絡みってコンテンツを投稿しあうという雰囲気すら感じたことがない。同じクラスタの中で同じ記事をポスト、リポスト、リポスト互助会。他のクラスタとはブロック合戦、論破(勝利宣言)合戦、曝し上げ合戦。

ちょっと斜に構えた政治系クラスタだとコンテンツを投稿しあっているように見えなくもないけど、それでも他のイデオロギーとの交流は求めずに斜に構えた政治系クラスタの中の人同士の差異を確認し合っている感じだし。

じゃあ対話とは異なる目的、モチベとはなんなのかというと、昨日も同じ事を書いたけど、ボクはSNSの政治絡みの表現というのは自己愛を満たす為の行為だと思ってる。

インスタのキラキラ生活アピールと同様の【善良で正しくて頭が良いキラキラ自分アピール】に過ぎない。そしてキラキラ生活はネットを離れたらそこに現実の生活があって我に帰れるけれど、キラキラ自分はネットを離れても現実の自分自身の醜さを突きつけられることというのはあまりなく、SNSに戻る度にエコーチェンバーで強化されつづけていく。

そして、そういう心理を巧みに利用して操っている人たちがいる。元はキラキラ生活に憧れさせてモノを売るような広告に利用されてたそれは、今では社会や政治の場でも利用されつつある。イーロンがXを買ったときに大統領選はその目的の一つだろうなあと思った人はそれなりにいたのでは?

 

 

あとXに限定すれば、Xというのは議論に使えるシステムではないと思う。

Xでスレッドをポストして、インプレッションを見たらわかるでしょう?

スレッドを全部読んでくれる人なんてマイノリティ。

スレッドの1つのポストがリポストされてもインプレッションが増えるのはそのポストだけ。

前後の文脈を読み取らず1つのポストのみを読んでリプやリポストする人たち。

スレッドを読まず全体に反論せずに、反論できるポストにだけに反論する人たち。

もううんざり。コレがボクがXをやらなくなった理由。

 

 

根本的に人が議論を好まないというのはなんかわかるな。身近な人であればあるほど日常生活で必要のない他者との差異を可視化するデメリットって大きいし。他人の論を受け入れることは自分のアイデンティティの変節に繋がる可能性もあるし。自分の論の精度が向上する程度で済めば、それはメリットなんだけどさ。

でもSNSのリプなんてほんと自分の論が向上するほどの建設的な鋭い視点のリプなんてものはほとんどもらえないね。論に敢えて瑕疵をつくってあげても、揚げ足取りをしてくる人ばっかで、その瑕疵に気付いてくれる人すらいない。

コレもボクがXをやらなくなった理由。